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サモアに到着して数日目の夜、ホテル近くをぶらぶら散歩して夕涼みをしていたことがありました。
途中で休憩していると何メートルか離れたところにサモア人の家族が同じように夕涼みをしていました。
中学生くらいの女の子達が私のほうをしきりに見て、何やらこそこそ話しています。

暫くして一番上と二番目と思われる女の子二人が意を決したように私のほうへやって来ました。

「英語・・話せる・・?」
恐る恐る・・といった様子で彼女達が尋ねました。
うん、と答えると二人の表情には一瞬ほっとした安堵の笑顔が広がり、
次に「あのね、お願いがあるの。私達と友達になってほしいの」と言うのです。
思わずこちらも笑顔になってしまって頷いてしまいました。

そうすると、待ち構えていたかのようにあと数人の子供達が一気に私のところに走り寄ってきて
私はあっという間に5-6人の子供達に取り囲まれてしまいました。

皆、好奇心いっぱいの目で私を一生懸命見つめています。
突然の展開に固まってしまいました・・わたし・・。(・_・)(・_・)

その子達のお母さんがニコニコ笑ってゆっくり私のところに歩いてきました。
「どこから来たの?」「サモアには何日いるの?」、
こんなことを聞かれ、少しの間、一緒にお喋りをしていました。
そのうちお母さんが
「立派な家ではないけれど今からお茶でも飲みに来ない?」と言うのです。
普通なら初対面の人からいきなり自宅に誘われても、ほいほいついて行くなんてできませんが、
あの国に数日滞在していたら、なんというか他人を疑う気持ちもすっかりなくなっていたんですね。

で、ほいほいとついていってしまいました・・。

招き入れられた家は家具が殆どなく質素な室内でした。
昔の日本にもこういう時代があったのだと思いますが、
物はないけれど賑やかな子沢山の家庭でした。
皆が始終ニコニコしていて、とても楽しそうで。
突然の外国人の来訪を家中で喜んで迎えて入れてくれました。
その日は一時間ほどお邪魔しただけでしたが、次の日の夕食に招待してくれました。

翌日約束した時間にその家に行くと、とても立派な夕食が用意されていました。
お母さんと娘さん達全員が4時間も前から皆で準備していたというのです。
食器はまちまちで、端っこが欠けたものもありましたが、
きっと家中を探して一番良いものを出してくれたのだろうということはすぐにわかりました。
その心からのもてなしが何よりも有り難く感じられました。

次の日も夕食に来てね!絶対来てね!という子供達。
大人の人達も是非来てね、待ってるから、って言うのです。
翌日、私は昼間にマーケットに行って、手土産にと、子供達のためにお菓子を買い込み、
そこの家に行きました。
お菓子を渡したとたん、子供達は大喜びですぐさまお菓子の取り合いになりました。

前夜のもてなしに比べたら、私のおみやげなど全然大したものではなかったのに皆がとても喜んでくれました。

その日はお母さんが私にサモアのドレスをプレゼントしてくれました。
サモアの女性が日曜日の教会や特別な日に身に付ける衣装で
上のブラウスと足首までのロングスカートに分かれているものでした。
鮮やかな青と黄色が混じった南国特有の美しい模様が描かれていました。
彼女に聞いたところ、当日の朝にマーケットで布を買って、知り合いの家に行き、ミシンを借りて私のために縫ってくれたのだとか。

毎夜私のためにご馳走でもてなしてくれ、手作りのドレスまで貰ってしまい申し訳ないほどでした。
でも娘さん達はにこにこ笑って「あなたと友達になれて嬉しいわ」と言うばかり。
日本のこと、当時私が住んでいたオーストラリアのことをもっと教えてくれというのでいろいろな話をしました。

写真を撮ろうとシャッターを押したときのフラッシュに小さい子供達はきゃあきゃあ喜んで大騒ぎをし、それがまた家族全員の大きな笑い声になっていました。

結局・・・、
私はこの国を去るまでの毎晩、このお宅に招待され、
毎晩お菓子を買い込んで家に向かい、
そこの家で夕食をご馳走になるという顛末でした。(笑)

最後の日には私が泊まっているホテルまで家族全員が見送りにきてくれました。
一週間とちょっとの滞在でしたが、私たちはすっかり打ち解けた間柄になってしまっていました。
みんな目がうるうる状態で下の子供は明日はもう一緒に夕ご飯を食べることはないとわかったとたんに泣き出すし、お姉ちゃん達も泣きそうな顔しているし、私も貰い泣きしそうで・・(;_; )
なんだかこの夜のことは忘れられないです。
テレビ番組で海外の田舎とかに行ったタレントさんがお別れの時に泣いてますがあんな感じでした。

シドニーに戻ってから私は小学生以上の娘さんや息子さん達にはそれぞれ腕時計と通学のサブバッグに使えるような鞄を、お母さんには香水を、お父さんには職場でも家族の写真を眺めていられるように、と写真たてをお礼に送りました。
それから大きな包みに目覚まし時計をひとつ。

そこの家には時計がありませんでした。
家計に余裕がなくて買えないのだとお母さんが私に話してくれたことがありました。
それで毎朝ラジオの時報だけを頼りに子供達を朝起しているのだということも。

そんな家計状況なのにあれだけのもてなしをしてくれたことを考えると
本当に私ができるお返しなんて何分の一にも満たなかったと思います。
数週間後に娘さんからお礼の手紙が届きました。
そこには「本当にありがとう、すごく嬉しい、家族全員がとても喜んでいます」と書いてありました。

当時中学生だった彼女とはそれ以来、数年前まで手紙でのやりとりをしていました。
彼女は成績優秀な子で、その後は大学の法学部に進学し、
手紙には公務員になりたいと書いてくれていました。
毎日勉強が大変だけど一生懸命がんばってますとか。

心が洗われるような・・というのはこんな経験を言うのかも。
南太平洋での休日は美しい島に住む人々のピュアな心に触れ、
自分の心までも清められるような日々でした。
いつかまたこの国を訪れることがあるのかな。
いつまでもあの時のままのサモアであってほしいなと願うばかりです。

アルバムの中から、あの時に遊んで撮った子供達の写真を一枚デジカメで撮ってみました。
やっぱり写真を写真に撮るとボケちゃいますねー。
かわいかったなー、子供達・・。