MILLION DOLLAR BABY
2004年 アメリカ
監督: クリント・イーストウッド
出演:クリント・イーストウッド 、ヒラリー・スワンク 、モーガン・フリーマン etc
2004年 アメリカ
監督: クリント・イーストウッド
出演:クリント・イーストウッド 、ヒラリー・スワンク 、モーガン・フリーマン etc
アカデミー賞で、主演女優、助演男優、監督、作品賞の4部門を獲得した作品です。
私はこの映画は「ロッキー」の女性版みたいな煌びやかなサクセスストーリーかと思っていたのですが観てみたら全然違いました。
私はこの映画は「ロッキー」の女性版みたいな煌びやかなサクセスストーリーかと思っていたのですが観てみたら全然違いました。
一生懸命やれば報われる、というメッセージを送る作品ではないんですね。
ボクシングに生きる希望を見出そうとする30歳過ぎの不幸な生い立ちの女性と
同じく家族と疎遠になっている孤独な老トレーナーの関係を軸に
尊厳死、信仰との葛藤、家族の崩壊、孤独・・など、たくさんのテーマを包含したかなり重い作品でした。
ボクシングに生きる希望を見出そうとする30歳過ぎの不幸な生い立ちの女性と
同じく家族と疎遠になっている孤独な老トレーナーの関係を軸に
尊厳死、信仰との葛藤、家族の崩壊、孤独・・など、たくさんのテーマを包含したかなり重い作品でした。
マギー(ヒラリー・スワンク)が、一生懸命練習に励んで、ようやく
試合に出るようになった時、
トレーナーであるフランキー(イーストウッド)が、
彼女に「モ・クシュラ」とゲール語で刺繍が入った緑色のガウンを贈ります。
マギーはこの意味を尋ねるんだけど、フランキーは教えませんでした。
試合に出るようになった時、
トレーナーであるフランキー(イーストウッド)が、
彼女に「モ・クシュラ」とゲール語で刺繍が入った緑色のガウンを贈ります。
マギーはこの意味を尋ねるんだけど、フランキーは教えませんでした。
彼女はいつもこのガウンを羽織って試合に出るようになり、
観客はリング上の彼女に「モ・クシュラ!」と歓声を送るようになります。
このあたりまではストーリーは上り坂。
観客はリング上の彼女に「モ・クシュラ!」と歓声を送るようになります。
このあたりまではストーリーは上り坂。
でも、ここで勝利か!というその直前、悲劇がマギーを襲い、
彼女は栄光を掴むことなく一生ベッドから起き上がれない身体になってしまうんです。
彼女は栄光を掴むことなく一生ベッドから起き上がれない身体になってしまうんです。
私はそれでも、その後に映画らしく奇跡が起こって、彼女が再起して
ハッピーエンドになる展開を期待しながら観ていたのですが、
・・・そうはならなかった。
ハッピーエンドになる展開を期待しながら観ていたのですが、
・・・そうはならなかった。
親に捨てられ、愛されることを知らず、社会の下層で歯をくいしばって生きてきて
ようやくボクシングという希望を見つけ、幸せを掴もうとするのだけど
結局それは叶わない。
そして彼女は自分の尊厳のために「死」を選択するんです。
ようやくボクシングという希望を見つけ、幸せを掴もうとするのだけど
結局それは叶わない。
そして彼女は自分の尊厳のために「死」を選択するんです。
最後にフランキーが「モ・クシュラ」の意味を彼女に教える場面があります。
彼はこう言います。
Mo cuishle means 'my darling', 'my blood'.
彼はこう言います。
Mo cuishle means 'my darling', 'my blood'.
字幕では「愛しい人、私の身体を流れる血」と訳されていました。
ここが一番、ぐっときた部分なんですが、
でもこれはラブストーリーとは違うように思えました。
ダーリンという言葉は恋人や夫婦間で相手を呼ぶ以外にも
例えば親が子供を呼ぶ時にも使うんですね。
「愛しい人」というよりも日本語なら
親が子供のことを「大事な子」、「大切な子」って言うじゃないですか。
そういう感じではないかと。
でもこれはラブストーリーとは違うように思えました。
ダーリンという言葉は恋人や夫婦間で相手を呼ぶ以外にも
例えば親が子供を呼ぶ時にも使うんですね。
「愛しい人」というよりも日本語なら
親が子供のことを「大事な子」、「大切な子」って言うじゃないですか。
そういう感じではないかと。
実の娘から疎遠にされているフランキーはマギーを自分の娘のように思い、
彼女をこう呼んだのではないかと思いました。
'My darling'と呼ばれたマギーはベッドの上で微笑みます。
暖かい家庭も知らず、孤独の中で生きてきた彼女が
人生の最期の瞬間、大きな愛情に包まれて心から安心しているように見えました。
その後、フランキーは彼女の身体から人口呼吸器を外し、
どこかへ姿を消してしまう・・。
彼女をこう呼んだのではないかと思いました。
'My darling'と呼ばれたマギーはベッドの上で微笑みます。
暖かい家庭も知らず、孤独の中で生きてきた彼女が
人生の最期の瞬間、大きな愛情に包まれて心から安心しているように見えました。
その後、フランキーは彼女の身体から人口呼吸器を外し、
どこかへ姿を消してしまう・・。
「生きること」の意味とはどういうことかという問いかけと共に、
キリスト教の倫理観が支配的な国では
自ら死を選ぶという選択をテーマにしたこの映画がどんなふうに受け止められたのか
そんなことも気になりました。
キリスト教の倫理観が支配的な国では
自ら死を選ぶという選択をテーマにしたこの映画がどんなふうに受け止められたのか
そんなことも気になりました。