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年末年始に行った四国のこと、書こうと思って
まだ書いていないことがいくつかありました。

・・ということで、幕末の志士、中岡慎太郎の生家について。

中岡慎太郎は坂本龍馬と共に薩長同盟を成立させた草莽の志士であり、
龍馬が海援隊を組織した一方で慎太郎は陸援隊を組織しています。

坂本龍馬は有名すぎるほど有名ですが、中岡慎太郎は
龍馬の名前の陰に隠れるようになぜかいまひとつ知名度が低いですね。
この人の生家が高知県の東のほう、北川村というところにあるということを
知って、車で行ってみました。

高知市から室戸のほうに向かって走っていくと看板が出ているので
わかりやすかったですが、看板が指し示す方向に走っていくと
どんどん山奥の細い細い道に行ってしまいました。

坂本龍馬は高知城下に郷士の息子として生まれています。
地方とはいえ、龍馬は、いわゆる都会っこだったのですが、
中岡慎太郎の家はびっくりするほど山奥の田舎にありました。

とても静かで、鳥のちゅんちゅん、という鳴き声と
風に葉がそよぐ音しか聞こえないような場所で。

彼が生きた時代は情報の伝達も遅いし、移動も想像を絶するほど
不便なはず。こんな場所に生まれ育って、それでも
時代の趨勢を察知して、国を変えようと立ち上がったなんて、
この時代の人達が持っていた心意気とか
湧き上がるエネルギーの強さみたいなのを感じずにはいられませんでした。

中岡慎太郎というと、正面から撮ったしかめっ面の写真を思い出します。
強い信念を持つ慧眼の士、というイメージを抱いていましたが
ここにはなんとも素朴な笑顔の彼の写真がありました。
とても印象的だったのでデジカメに収めてきました。

庄屋の息子として生まれ、自身の栄達よりも当時飢饉に苦しむ農民を救いたいという
思いから日本を変えよう、という生き方を選んだ人でした。
こういう人、いいですね。

わずか30歳で刺客の手に斃れてしまったのですが
その短い人生に成し遂げた偉業は素晴らしいものだったと思います。

彼の家のそばには透き通る水の川がありました。
小さい頃、ここで飛び込みをやって遊んでいたのだそうです。
近くに立派な資料館がありましたが残念ながらお正月休み中でした。
犬を散歩させていた通りがかりの近所の人が
「どこから来たの?」と土佐弁で話しかけてきてくれました。
この人のご先祖様も中岡家と交流があったのかなー?とか
そんなことを思いました。