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四国からの帰りに寄り道しました。
壁が真っ黒だからなのか、別名烏城(うじょう)と呼ばれてます。
でもこの時代は、真っ黒なお城を建てるのが
割と多かったみたいです。

岡山城の歴代藩主は4代以降は池田家ですが
初代は宇喜多直家、2代が宇喜多秀家です。
秀家の肖像画を見ると目がぱっちりしていてなかなか美男子です。
勇猛果敢な武将だったそうですが、
関ヶ原の戦いで西軍に属したため、
お父さんが築城した岡山城は没収され、
八丈島に流されてしまって死ぬまで帰れませんでした。

で、その代わりにここに入ってきて3代目藩主になったのが
小早川秀秋。
関ヶ原の戦では西軍に属していたけど
途中で東軍に寝返って西軍敗戦の因をなした人です。
でもこの人、藩主にはなったもののすぐ亡くなっています。
毒殺されたという説がありますが、
そりゃそうですね、簡単に裏切る人間など信用されないでしょう。
まだ若かったし、思慮に欠ける人物だったようで
家康に利用されたのでしょうか。
そう考えると、ちょっとかわいそうです。

岡山城の石垣にはあちこちで巨大な石が目につきました。
お城の威厳や大名の権力を誇示するために
巨石で石垣を造るのが当時の大名の間で流行ったみたいです。
発掘調査で関ヶ原直後に池田氏が築いたものだたという
説明書きがありました。

あと金の鯱。平成8年に創建当時の輝きを再現するために
上げられたものだそうです。
キンキラしていてすごく目立っていました。

お城を観にいくたびに思うけど、お城のある街っていいものです。
この後は旭川を挟んだ向こうにある後楽園に行きました。