60歳代ぐらいのおじさんの存在を怖く感じる。少し顔見知りで、挨拶をする程度の近所のおじさん。引っ越しの時に挨拶も行ったし、会えばこちらからでも挨拶していたんだけど。「少し知っている程度のおじさん」、私はこれが怖いんだと思った。この近所のおじさんについては、殆ど情報を知らないのに。
私は挨拶をするのが恐ろしくて勇気が出せなかったので、道ですれ違っても出会い頭に出会っても、いつの間にか挨拶をしなくなった。こちらからしなければ向こうもしてこない方だし。だから私の心がこうなので「ご近所さんに挨拶をしなかった事で罪悪感を覚えなくて大丈夫」
何で私は恐怖に感じて挨拶をしなくなったのか。考えた。
私が中学生のまだ場面緘黙症だった時、いつもの路線バスの家路で、季節毎にうちの村にやって来て空き家になった自分の実家の手入れに来る遠い親戚のおじさんを見つけた。そのおじさんも私に気づいて、先頭に座っているおじさんはしきりに体を捻って、最後部座席の私を見てくる。
私は会釈や笑顔や手を振ったりなんかできるわけもなくて、カチコチの人形の様な状態。私はおじさんが降りるであろう1つ手前のバス停で降りる時、おじさんのすぐ隣を通って運転士さんのとこにある運賃箱に賃金を払って降りる。
人形の様な私がおじさんの方を見ることもなく通り過ぎる時、その時のおじさんの不思議そうに私を見る顔が忘れられない。私はおじさんに挨拶を不義理してゴメンネ、お家にいるときみたいな朗らかでフレンドリーに接する事が出来なくてゴメンネ、と伝えたいけれど伝えられない。
おじさんはこの村に来た時必ず、私の家に寄る。確かおじさんのいとこが、私の曽祖父なので「来たよ」という事の挨拶をしたり楽しく話していたと思う。だけど、その時からもう来なくなった。
来ているという情報は度々家族の耳には入ってはいたみたいで「どうして家に寄らなかったんだろう」と不思議そうだった。(どうしようもない私のせいだ)
ある年に、年男年女の厄払いの田舎独特の行事で
また遠方からそのおじさんはやってきたらしい。私の母も年女かなんかで「あら〜◯◯さん(^^)」といつものように話しかけたら、「ムスッとして睨まれたよ〜、私なんかしたかな〜、あんな人だったかな〜」と、父親に話していたのを私は聞いた。父親は良い感じで慰めていたと記憶している。「何も知らない母親お、ついでに父親の事も間接的に傷つけてしまったかもな、私のせいなんだよな〜」と思った。
数年後に珍しく私の実家におじさんがやってきた(らしい)。おじさんは自分の誰も住んでいない実家を取り壊す事にしたらしい。その挨拶。遠方に住むおじさんは、新幹線と電車とバスで、数時間かかる場所に住んでいる人だったし年に何回も来るのは歳も歳だしという事らしかった。
現在、ここまで書いて、私は罪悪感を味わいたいから近所のおじさんに挨拶をしなくなったのかもしれないと感じた。
このおじさんと挨拶をする事を結びつけようとすると、あの時の場面緘黙症の感覚が蘇って実行している。これをどうにかしたい。
生きる為にオブラートに包みまくって来た「仕方がなかった」という感情を1つ1つ剥がして癒やしていく作業が必要なんだろうなとは、思う。私、めんどくさがりなんだけどなー!あー!
言えることはただ1つ、まだ私の場面緘黙症問題はある意味でまだ終わっていない。これがあるから考えられるし、良いんだ。
しかしながら、そのおじさんがもし本当に私のせいで、負の感情に飲まれてしまっていたなら、そのおじさんはずいぶんと被害者になりたくてなった人なんだろうな、と思う。私がその引導を渡さなくても、何かを使って被害者にはなっていたんだろうなと。
あのおじさん、おそらくだが、亡くなっていてもおかしくない年齢だと思う。
亡くなる前に自分の被害者意識を遠のかせることは出来ただろうか。それともまだ生きているんだろうか。わからないまま。
【メインのXの投稿に書いたら、細切れで読みづらかったので、ブログにものっけてみた】