旅の最後に訪れたのは、丸の内の明治生命館にある「静嘉堂文庫美術館」です。ここに来たかった最大の目的は、国宝の「曜変天目」。この目で一度見てみたいと思っていました。
浅草から丸の内に来ると、雰囲気が同じ東京とは思えませんねー笑。日本人も外国人も、なんていうか層が違います・・・。私自身は、丸の内っぽくありたいけど、本当は浅草の方が合ってると思います。
曜変天目とは、南宋時代(12-13世紀)の中国福建省で制作された陶器で、完璧な状態で現存するのは3つ(藤田美術館(大阪市)、静嘉堂文庫美術館(東京)、大徳寺龍光院(京都市))のみ、中国で作られた茶碗なのに日本にしかありません。
かなり前ですが、テレビ番組「なんでも鑑定団」で「4つ目の曜変天目発見!」というのを見て、初めて「曜変天目」という言葉を知りました。依頼品には高額の鑑定結果が出ましたが「どう見てもニセモノ」という反論も巻き起こり、、、番組からの公式発表等はなさそうですが、どうやらニセモノだったようです。ってことは、贋作と言われたけど実は本物だということもあるわけだし、鑑定ってロマンがありますが難しいですね。怖い怖い。
やっとお目にかかれた曜変天目は、それはそれは美しい色でした。小さなお茶碗だけど、見る価値ありました。黒い地色に鮮やかな青色、その中に輝く不思議な斑点。この斑点はいくつもの偶然が重なったときにだけ出現し、現代の技術でも再現不可能みたいです。後から知りましたが、曜変天目は常設展示品ではなかったみたい。見られて幸運でした。
三代将軍・家光の時代、薬湯を与えるための容器として、乳母の春日局に下賜され、後に淀藩主となる稲葉家へ伝えられたので、このお茶碗は「稲葉天目」とも呼ばれているそうです。岩﨑小彌太は1934年にこの茶碗を入手したようです。どういう経緯で手に入れたのか気になるところです。
岩﨑家、、、そうです、偶然にも昨日行った「旧岩崎邸庭園」の岩崎さんです。「旧岩崎邸庭園」は、岩崎彌太郎(三菱財閥の創始者)の長男、岩崎久彌(三菱第3代社長)の本邸です。静嘉堂は、岩﨑彌之助(彌太郎の弟、三菱第2代社長)と岩﨑小彌太(三菱第4代社長)の父子二代によって創設され、収集されました。一族みんなすごい!さすが、丸の内の大家、三菱地所!
特別展は「画鬼 河鍋暁斎×鬼才 松浦武四郎」(2024年4月13日~6月9日)でした。予備知識もなく、音声ガイドも借りていないのでチンプンカンプンではありましたが、日曜美術館でちょっとだけ特集されてて、少し理解が深まり助かりました。河鍋暁斎という画家は、なかなか愛嬌のある絵を描く方で、「地獄極楽めぐり図」が一番心に残りました。
日本橋の小間物問屋勝田五兵衛の娘の田鶴は、幼くして亡くなり、その供養のために、田鶴の父が河鍋暁斎に依頼した絵なのですが、極楽までの道中があたかも楽しいことのように描かれていて、亡くなった娘さんがこれから向かう先は悲しみばかりじゃないよと、自分と娘に言い聞かせているような、愛を感じました。親が子を思う心は昔から変わらないんですねー。娘が極楽往生するまでの旅の様子を絵にするという発想が素敵です。
「地獄極楽めぐり図」は、1枚の絵ではなく、画帖というつながった本のような形なので、自分でペラペラとめくるわけにはいかず、会期中に入れ替えて一部を展示する方式だったので、全部は見れませんでした。残念。
もうひとりの主人公、松浦武四郎は松坂出身の方なんですね。いつか記念館も訪れてみたいです。探検家で北海道の名付け親らしいです。「武四郎涅槃図」の真ん中で
釈迦に見立てて寝ているのが松浦武四郎、この絵を描いたのが河鍋暁斎ということです。骨董品の収集家でもあった松浦武四郎が集めたお宝も描かれていて、その実物が展示されていました。横で悲しんでいるのは奥さんだそうです。面白いです。
ややこしいですが、「武四郎涅槃図」は松浦武四郎記念館(松坂)の所蔵ですが、作品に描かれているコレクションの実物を所蔵しているのは静嘉堂。静嘉堂すごいなぁ。どうやって入手するんだろう笑。これらのリアルなコレクションと絵が一緒に展示されるのは初なだとか。発想が素敵です。
静嘉堂文庫美術館はそう広大な美術館ではないのに、連日の歩き回りでヘトヘト。近くにあるロブションのカフェで一休み。オシャレなカフェに来たのが久しぶりという相乗効果も加わり、ケーキもドリンクもめっちゃくちゃ美味しかったです。またロブションのケーキ食べたい!
ロブションでパワーチャージ出来たので、ちょっと銀座に行ってから名古屋へ帰りました。歩き過ぎと美術館行き過ぎで肉体的にも脳みそ的にもキャパオーバーの旅行でしたが、とても楽しかったです。やっぱり東京は楽しい!!
こうしてブログにまとめると復習できて良いです。記念になる出来事があったらブログにまとめて行こうと思います。すぐ忘れちゃうので記録は大事です。