隣の席のテツは大っ嫌いだ。

いつもあたしにちょっかいを出してくるからだ。

昨日は傘で足を叩かれた。

さっき、学校から帰る時は何もしてないのにランドセルを蹴られた。


特にかっこいいわけでもないのに頭もまぁまぁ良くて、

足が速いからそれがまたムカつくんだ。

4年生になってまた同じクラスになった時の絶望ったら!


図工の時間、あたしはテツのせいでろくに絵も描けない。

だって絵具のパレットに版画の削りかすを入れたりするんだ。

算数の時間はあたしの机にキン消し並べて自慢してくる。何やってんだよお前。

給食だって落ち着いて食べられない。

必ずデザートのプリンやヨーグルトを奪って、隠したりする。


「お母さん、あのねー、テツがねー」

玄関のドアを開けるやいなや、あたしは愚痴った。

「…まずはただいま、でしょ。学力検査の結果、もらってきた?」


お母さんはおかえりの一言も言わず、機嫌の悪そうな顔を見せた。

「ただいま。学力検査、もらったよ。」

結果が印刷されたプリントを渡すと、あたしは床にぺたんと座りこんだ。

そうだ、言われる前に手洗いとうがいだ。

立ちあがって皺になったスカートをちょっと手で直すと、間髪いれずに

「いつも同じこと言わせないで。帰ってきたら手洗いうがいでしょ。」


わかってるよ。ってか、あたしの話も聞いてよ。

お母さんはいつもそうだ。自分の機嫌が第一な人だ。

プリント見ている横顔が、静かすぎて怖い。


国語85点、算数80点。あまりできなかった。

去年より点数も順位も下がった。

きっとお母さんの機嫌は夜まで直らないだろう。

重苦しい空気の中、2人で夕飯を食べるのは苦痛だが慣れてしまった。


ああ、首がかゆい。緊張したり重苦しい空気の中にいると、首すじがかゆくなる。

眉間にしわを寄せて何も言わないお母さんが怖くて、あたしは隣の部屋に逃げた。

かゆいのが気持ちよくて、首筋を掻く。

首筋はざらざらして、ところどころ湿っている。

濡れているのはやっぱり、血がにじんでいる。かいて血が出るのは慣れっこだ。

かさぶた剥がした後の手の爪には、赤くなったかさぶたが詰まっている。

カスがぎゅうぎゅうに詰まった爪の、呼吸できない感じがドキドキする。


歯でシーシーやってみて口に入れてみる。

爪も一緒に噛みちぎって、じゅうたんにプッと吐き出す。

濡れて光った爪が、あたしの分身が落っこちている。


中指の爪が口に一番フィットするんだ。

適度に丈夫で噛みごたえがある。

親指の爪は少し大きくて硬くて噛みずらい。

爪の表側が口の方にくるから噛みずらい。

人差し指も、中指の次に噛みやすいけれど、おしゃぶりしてるみたいでかっこ悪いからあまりやらない。

薬指は手の指の中で一番無力。

小指は何気に好き。ちっちゃくて力が弱いから、深爪にならないようにちまちま噛むのが、コツ。


「順位下がったのね。クラスで5番目?次は1番とってね。あんたならできるよね?」

いつのまにかお母さんが部屋に入ってきて、ふっと現実に戻った。

噛んでた爪は、全部深爪状態だ。

こっそりスカートのお尻で拭く。


「だってさぁーテツがいつも意地悪するんだよ?今日ね、算数の時間にね、…」

あたしが言い終わらないうちにお母さんは

「人は人、自分は自分。そんなの気にしないのが一番よ。

男の子は女の子より幼い生き物なの。ほっとけばいいのよ。

それとも、先生に言っても何もしてもらえないのかしら?」


そんなの、気にしない、って…まだ何も言ってないじゃんあたし。

お母さんは何もわかってくれない…

なんてドラマの主人公みたいな、かっこつけて安っぽい台詞を心で吐き出す。



【続く】