9月6日


朝イチに義弟宅行き。

少しぼんやりしていた舅から財布を預かり、舅のお昼ごはん(弁当)を買いに近所のスーパー行き。

バイトに行く前に義弟宅に再び立ち寄り『弁当』を届けました。

 


バイトから帰宅し、在宅仕事を必死になってしていたのですが、14時50分頃にスマホの着信音が鳴りました。

着信の相手は舅。


いまケアマネがきとる!ケアマネがきてくれとるで…。


…薬がない…


ケアマネに代わります…

 
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と、言ってきました。


私は?状態になりましたが、ケアマネに電話を変わってもらっていました。


〇〇(ケアマネの名前)です。

近くにいたので立ち寄らせてもらいました。


今、〇さん(舅のこと)の抑肝散がなくてさがしているのですが見当たらないんです…

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と、言ってきました。


ヾ(ヽ0Д0)ェエエ工ー!!


"薬を間違って先に飲んでいる"という形跡はない…と言われていたので私が"入れ忘れている可能性"もあるな…と思い、"すぐに行きます"とケアマネに伝えました。


慌てて義弟宅に行くと舅はまだお昼ごはんの弁当を食べていなかったのです。


( 'ω')エッ…?


舅は『一日二食でいい…。晩ごはんはこれでいい…』と言ってきました。


"これって…以前にもこういったことがあったなぁ"とふと思い出しましたが、抑肝散をとりあえず探すことに。


舅は夕食後の薬をレンジの上に置いてある空瓶に入れていたのでその付近を見ました。


ん?ん?…(。´・ω・)ん?


抑肝散は何故か空瓶の下敷きになった状態で見つかりました。

(ーvー:)


ケアマネも舅も見つかったので『ホッ』とされていました。


私も『見つかってよかった…』と思いましたよ。

もし見つからなければ"薬一式"の袋から抑肝散を出して"数"をチェックし直さなければいけなかったのですから…。


抑肝散が見つかったので帰宅しました。



9月7日


私はこの日、朝から外出していたので旦那の晩ごはんを作って置いて行きました。
(プラス1000円置いてきました)
 

とある場所にお参りをしている最中に私のスマホが鳴りました。

着信の相手を見ると舅からでしたが出先なので無視しました。

その1時間後ぐらいに旦那からも着信がありました。


旦那は舅のところに"カレーを持って行った…"と言っていて続いてこう話してきました。


おとうさん、"昼はいらん、一日二食でいい…"と言ってきた。


とりあえずカレーを置いてきたで食べるでしょう…


(。´・ω・)ん???


カレーの具なのですが、豚肉ときのこ(えのきとまいたけ)だったので嫌がってないかな?とまずは思ったのです。


あと、中辛のだったのですが辛くないのかな?とも…。

(ましてや美味しくない…と言われたら凹む)


旦那の話を聞いて少し不安タラタラになったのはいうまでもないです。



そんなこともありましたが、様々な要因(駅近くの駐車場が満車で駐車場探しに難儀し、電車の乗り継ぎもうまくいかず…)も相まってエネルギー整体の施術時間に間に合わず少し遅刻をしてしまいました。

ほんまにごめんなさい…。(´;ω;`)



エネルギー整体を受けるとき…って、大体の方は『何らかの節目』を迎えるときだそうでして、私もそのひとりに入っていました。


舅の在宅介護が完全終了を告げる数日前でしたから…。


亜紀さんと和歌さんに会えたことにめっちゃ感謝です。(´;ω;`)



施術を受けて少し気持ちが軽くなりました。




9月7日


朝から私は在宅仕事に集中し、夕方前に全部仕上げてグッダグダになっていました。


夕方、旦那のスマホに舅から着信がありました。

『誰か外におるか見に来てくれ!』と怖々と言ってきたので旦那は仕方なく義弟宅に行きましたが誰もいなかったとか…。


その日の夜、我が家の固定電話に亡き姑の友達から電話がかかってきたのでした

我が家に電話をかけてこられたので次の日、姑の友達ん宅に挨拶しに伺うこととなりました。




9月9日   (昭和99年9月9日)  舅・最後のデイ利用日


この日はデイの最終日。


正直、あまりデイに行きたくはなさそうな感じでしてデイの送迎車が来るギリギリまで半分寝ていました。


デイの送迎車が来た頃には少し覚醒し…


昨日の夜な腕に蜘蛛みたいな虫がほーとってな何か噛まれた…


と言って右腕を見せてきました。


確かに何か噛み跡みたいなものが右腕にあり、その周りが少し赤くなっていました。

(ーvー:)


8時45分頃、デイの送迎車が到着。


舅を車椅子に移乗時、右腕の虫刺されの痕のことを職員に伝えました。


舅は早くおしりを下ろそうとしていたので介助する私と職員は慌てました。

ヽ(´Д`;)ノヽ(´Д`;)ノ


ほんまに日に日に"状態が落ちている"のがあからさまにわかります。


何か切ない気持ちにもなりました。


自分も更に歳を重ねていくと自分もこうなってしまうのかな…ということすら思ったのです。


介護の仕事を実際にしていたこともあり沢山の高齢者を見てきましたので、ほんまに考えてしまう事が多くなったのも事実。


次の日に舅は本当に"特養に入所する"ということが一瞬だけ"信じられない…"というような気持ちが出てきました。


とはいえ、旧寝室のテーブルの上には持っていく予定の荷物がたくさん並べられていて、その中には総合病院の申し送り書・CD-ROMに役所から取り寄せたものなどもありました。

(役所に転出届を出したようで特養入所後に特養の住所で転入届を義姉たちが代理で出されているはずです)


が、紙パンツ(LL)はテーブルの上に置いてあって"紙パンツ用パッド"が押し入れの中にまだあったのでそれをテーブルの上に置き、布団に敷く使い捨てシートも押し入れにあったのでそれも持って行ってもらう荷物として置いておきました。


夜遅くに義姉たちが来られるのでなんとか荷造りはするでしょう…と思いながら帰宅しました。




舅がデイに行く前に家で食べる最後の夕食は義弟夫婦が持ってくるのか?と聞いてみたのですが『わからん…』と言っており、舅の冷蔵庫の中には"冷凍ごはん"がひとつ残っていたので持ち帰りすることに。


否応なしに作るしかない…やん。

( -  - `)


鬼嫁、絶対に作らなさそうでしたから。

(予感は的中しました!最終、鬼嫁は作ったものを持って行っていませんでした!)


何を作ろうか迷いましたが…

最後の最後に『カツ丼』を作ってしまいました。(笑)


ご飯が多いので少し取り、取った分は旦那に食べてもらうことにしました。


それでも量が多いかも…?と思いながらデイから戻ってくる30分前に作り、迎え入れ時に持って行きました。


16時45分頃、舅は最後のデイから帰宅。


舅の誕生日が6日だったこともあり、デイで誕生日会をして下さったそうでした。


プレゼントをもらって帰ってきた舅はニコニコし、『プレゼントもらった~!』と子どものように嬉しそうに言っていました。


デイ職員からは『今日で最後になるので一人一人に挨拶をされていました…』ということを聞きました。

先週から知り合いに自分から片っ端に電話をかけていた…ということも分かりました。


デイに行き始めたばかりの頃は嫌がっていた舅。


事業所を巻き込んで自分のわがままを通したこともありましたね…。

(曜日変更でなんとか落ち着きましたが…)


色んな思いが出てきましたが、デイ職員と運転手に私からも『今までありがとうございました』と伝えました。


舅に作ったカツ丼をサイドテーブルに置いたのですが舅はやはり『量が多いなぁ…』と言っていました。

( ̄▽ ̄;)


食べれなかったら処分するなり、誰かに食べてもらって…と伝えました。


舅は『□□や〇〇ちゃんによう面倒見てもらった…』とよそよそしいながらもそう言ってきました。


コトバの端々に心にないことも言っているような気もしたのですが話を少し聞きました。


最後に『京都に来たときは会いに来てよ…』とも言っていました。

京都市内にたまに行きますが舅がいる特養は市内からかなり遠いです…。




17時50分過ぎ、旦那が姑の友達ん宅に改めてお礼も兼ねて挨拶に行く…と言い出したので一緒に伺いました。

先日の菓子折のお礼と来てくれていたのにも関わらず義弟夫婦が対応出来なかったことに対しての謝罪もしました。
(義弟夫婦は謝罪すらしませんでした)

姑の友達から様々な話を聞いたのですが姑と同様、地域に馴染めなかった…と言われていました。

姑も私も『ヨソ者』として元から居る方々に見られ、姑は近所の方々からのいじめにあっていたのですよ。私も今だに近所の方々には『ヨソ者扱い』されてますので地域の方々とは無理して仲良くもせずママ友も作りませんでした。(作りたいとも思わなかった)


地域では『一匹狼的』に見られていますが、無理して馴染もうとすることはしていないのでそれでいいと思っています。


姑の友達は舅が電話をしてきたときにいつも…


□□(旦那の名前)が面倒見てくれる…

何やかんやで〇〇ちゃんが世話してくれてるさかいにありがたいんや…感謝しとるんや


と、言ってたそうです。


『心から感謝されてますよ……』と言われましたが、いつもそんな態度ではなくボロくそに今まで言ったりしてきた舅でしたので信用出来ない…と思ってしまいました。

心にないことも平然と言われる方でしたから…舅という人は。

 


帰宅後、旦那は義弟宅に行きましたが『お茶ないか?』と言いながら戻ってきたのです。

( ̄▽ ̄;)


舅はごはんを食べようとしていたそうですがお茶がなかったそうです。


舅はお茶代わりに『白湯』を飲む…と白湯をレンジで作ろうとしていたので旦那は慌てて帰り『ペットボトルのお茶』を探していたのでした。


たまたま頂いていたペットボトルの麦茶があったのでそれを渡しました。


旦那は慌ててそれを持って再び義弟宅に向かったのでした…。

 


夜遅くに義姉たちが義弟宅に来ていたようで、多分ですが夜通しで荷造りをされていたと思います。


私たちには何も言ってこなかったので手伝いにもいきませんでした。


夜遅く、上の義姉が旦那に『(舅を連れて)7時半に出ます…』とLINEしてきました。


旦那は気にしてはいましたが、私は特養への送り出しを拒否することにしました。



正直、義弟夫婦同様に義姉たちに対しても色々と怒りが込み上げておりますよ、ほんまに。

私たちには義弟夫婦も義姉たちもボロくそに言いまくった挙句、まともに介護に関わっていないのにも関わらず"私たちが介護していましたよ…"みたく特養に行った時にアピールをするんだろうな…。

ほんまにヤダ…。

( -  - `)




9月10日の朝、舅は義姉たちに連れられて特養に行かれました。