仕事は続いている。
カフェインはこの頃効かなくなっているので、仕事中、あくびをしてばかりだ。
でも居眠りするほどではない。
それほど忙しい仕事ではないのだ。
合間に資格のテキストを読んで勉強できるぐらいだし。
仕事では、ある工程について最初の頃に教えてもらった方法で作業をしていたが、別の方法でした方が、他の人にも良いことが分かった。
実は今の職場でもいじめてくる社員が1人いる。
初めにその人に注意されたので、本気にしなかったのだが、後日、別のオフィスで働いている人からもやんわりと指摘があったので、さすがの私も、自分のやり方を変えた方が良いことが分かった。
そして、この件について、いじめてくる社員とはその日会わなかったのだが、関わったほかの社員の人たち(それに別のオフィスの人)は、まったく私を責めようとしなかった。
というか、腫れ物に触れるような扱いだった。
これが現代の職場での人間管理というものなのだろうか?
少しショックだった。
私は自分のことを被害者だと考える傾向にあり、その事を自分の人生を鑑みて悪いとも思っていなかった。
しかし今回のことに関して言えば、彼らは私を私にはできないほど繊細に扱ったのだ。
私の方がいない方が良い、悪い存在だ。
私が私をいじってくる社員について考えるように。
居心地が悪い。
まだ、そのろくでもない社員とかかわる方がましだ。
そう思った時に、これだから、私は私をいじめる人間を引き付けてしまっているのではないかと考えて、なおの事気分が落ちた。
そういう気分でいる時に、Xで「過度な動物への愛情を持つ態度は、人間への無関心、もっと言えば人間への憎悪や攻撃性の現れである」と云うような投稿を読んで、頭を殴られたような気がした。
私は病気になる前は、異常なほど動物が好きな子供だったのだ。
当時から環境に問題のあるいじめられっ子だったから、今思えば歪んだ支配欲や一方的な共感があったのだとは思っていた。
そして病気になってからは何かに関心を持つこと(病的な執着でなく)が贅沢で無理な状態だったし、今に至るまで人が嫌いなのは子供の頃の経験が影響しているのだと解釈していた(今は動物についても特に興味は感じない)。
でもそれが、人間への憎悪・攻撃性を持っているという解釈ができることに、今まで気が付かなかった。
Xの投稿はそういう人間の態度が、ナチスの思想とも関係があるようなことが書いてあったが、長文過ぎて頭に入らず、読むのを止めてしまった。
そういう訳で、私は人としてどうかしているのかもしれない。
いや、この病気の時点でどうかはしているのだが、今までとは違う感じで、自己肯定感というか、自分の正当性の感覚が揺らいでいる。