痩せたくない理由 | ラジオネーム よしえみ

痩せたくない理由

簡単に言えば、痩せて標準体型になったら、母親に「誰でもいいから客をとって、ええ事をして金をもろて親(自分)に渡せ、それぐらい出来るやろ、ちょっとは役に立てや」と言われ続けてきたからです

 

父が生きていた頃は「お父さんに告げ口をしたら犬を保健所に連れて行く」と言い続けて、無理なことばかり命じられてました

アルバイトが森之宮なのに、カバンや部家を漁って交通費までとりあげて、歩いて行けやと怒鳴られ、無理だというと「この金は利子をつけて返せや」と、往復できない金額を渡されて、働いた帰りは京橋から歩いて家に着くのが夜十時を回ってました

 

あまりにキツくて辞めると、父が出勤した後、母親と妹に「能なし、出来損ない」と言われて、我慢しきれず朝家を出て、夕方暗くなるまで図書館に居たり、ひたすら歩いたりしてました

 

23歳になる直前、お前の8月の誕生日なんか何がめでたいんやと、何故か壁を叩きながら怒鳴って怖かった日の夜、いつものように晩ごはんの時に「カプカプ食うな」と変な言葉で叱られず、私が普通に食べるのを母親と妹が見ていて、父はいつものように私が何も食べるなと母親に怒鳴られないので、ホッとした顔で食事をしていました

 

その夜九時過ぎからおなかが痛み始め、明け方父が起きて来るまで、母親が何度も「まだか」と、台所の隅に横になる私を蹴りに来て、明け方に父に見つけでもらえて、家からかなり離れた病院に父の車で運ばれました。急性膵炎だと診断されて入院しました

 

入院してる間に、部屋の中の物や服は捨てられて、私は回復したら山陰にいる母方の祖母と一緒に暮らすことになってました

 

もちろん嫌だと言って、今の家は出ないと父にも云いました。父は私が言ったんじゃないのか?と、聞いて「わかった」と言って黙ってました

 

退院してから母親は「何でも言うとおりにしろや、せんとモモを保健所にやるぞ」と、私が「もう止めて」と、台所に座り込んで泣くまで、しつこく言うようになりました

 

それが続いて、モモが死んでから、ペットロスや幼い頃からの虐待や、ずっと脅されていたことが重なって、食事が出来ず、起き上がれなくて、急性膵炎を完治させてくれた先生がいる病院にやっと行くと、すぐに精神科を受診しなさい、うつ病になってるから専門科に行って来なさいと、先生に助けてもらいました

 

先生は、看護婦さんや事務員さん達に母親の事や、私が公園で犬を横に座らせて夜遅くまで居るのを聞いておられたと思います。その犬が死んだこと、よく怒鳴り声が聞こえる家だという事も

 

寝屋川市から守口市の関西医大まで、電車は子供の頃から母親と出かけたときにホームから何度か落とされかけたので、弱ってるときには乗れません。バスで行くルートを当時は知りませんでした。病院代は父が「好美を病院に行かせろ、金を渡せよ、ただで診てくれる病院なんかないぞ、帰ってきたら好美に聞くからな、大学病院にも守口やから、本社の事務員にも聞きに行かせるぞ」と厳しく言ったので、往復の電車代と、昼ご飯代を200円、800円でお釣りを渡さないと怒鳴られました

 

電車には乗れないので、自転車で行きました。もちろんフラフラしていたので、寝屋川と萱島の間にある公園、摂南病院、西三荘駅の下で、少しずつ休みながら、滝井駅まで行ってました

 

昼ご飯に電車代の分、まともな物を、母親妹に取り上げられずに食べられたので、少し回復出来てホッと出来ました

 

大学病院は人が多過ぎて辛かったので、かかりつけの病院で、助けてくれた先生に診てもらうことにして、薬は同じ物をもらってました

 

先生が、家庭の事情を何となく聞いて、優しく話してくれて、看護婦さん達も色々気にしてくれて、少しずつ治ってきてました

 

その頃から、母親に、怠け者は怠け者に出来る仕事をしろ、客をとって金を渡せ、月に1万位は小遣いやるわ、何でもして、生み賃と育て賃をはよ返せ、うちの人生を台無しにしたクセにと、毎日何度も言われ続けるようななりました

 

まずまた太ろう、太い見た目を拒否する男は必ず居る、母親が連れて来ても半分はお金を出して身体を買おうと思わない

服装も男みたいにして、化粧もしない、髪も短くしてとかさず、無愛想、振る舞いもがさつになれば、いくら20代でも、買う男なんていない、そう思いました

 

自分の産んだ娘に売春をさせようとする母親を、誰も相手にする訳がなく、私は「怠け者の出来損ないは何も値打ちがない」と罵られましたが、罵られるのなんて平気ですから、何とか耐えて、祖父母の心配をしながら生活できてました

 

父が癌で死ぬまで、何とか家庭内で、病院に運ばれるほどの怪我まではしなくて済みました

 

父が死んでからのことも、誰かに知ってもらって、永久に消えないブログ記事にして残すために、整理してから書きます

 

知り合った人達皆、話が重すぎて読むのは嫌だと思うかもしれませんが、今まで私がどう生きてきたからこんな人間なんだと、知って、同じような目にあってる若い人を見つけたら助けて欲しいです