とまどいが訪れる時に限って
自分をなぜだか苦しめてる
そんな時こそ
やさしさあげたいの
『リルラリルハ』 木村カエラ
その感性に
何度も圧倒されたい
その歌う声に
何度も惚れたい
【自己表現】の
素晴らしさを
教えてくれた人
とまどいが訪れる時に限って
自分をなぜだか苦しめてる
そんな時こそ
やさしさあげたいの
『リルラリルハ』 木村カエラ
その感性に
何度も圧倒されたい
その歌う声に
何度も惚れたい
【自己表現】の
素晴らしさを
教えてくれた人
病気の原因が、
【過去】ではなく
【未来】にあるとしたら?
この本を読んで、
そんな風に仮定したくなる病気が
私にはある。
ここに書かれている
自分の病気からの意図=お知らせを
受け取って、
これまでの病気に対する解釈が
一瞬で変わった。
私にとっての病とは、
自分がこれからどう生きていくかを
定めるときのお守りのような存在。
病気とは、
倒すべき【敵】ではなく、
自分の行く先を
ピンスポットで照らしてくれる
【お守り】なのかもしれない。
今ここにある私の身体は、
病気をつかって
未来のことまで教えてくれている。
始めよう今日も
TODAY IS A NEW DAY
昨日まで虚しくたって
さらなる今日だ
TODAY IS A NEW DAY
励ますよ
『TODAY IS A NEW DAY』 木村カエラ
この数年間のトンネルは、
本当に長かった。
遡ると、
十年分の時間、
私は自分の前進を
止めてきた。
十年の間にしてきた
足踏みは、
同じところに留まっているように見えて、
実は、
見える景色を一瞬で変えるほどの
力になって、
きちんと自分の中に
蓄えられてきていた。
打ちひしがれるくらいに
虚しい「昨日」は、
「今日」見ている景色を
なんとしても見せてあげたいと
諦めなかった、
すべての瞬間を生きてきた
「私」のおかげで成り立っている。
社会人として働き始めて
数年経った頃に参加した
ひすいこたろうさんの講演で、
「理想の自分の未来」について
考えるワークがありました。
出てくる限りの理想を書き出して、
優先順位を付けていった結果、
私の最上位は
【好きな服を着ている】でした。
社会人になってからの私は、
仕事で着る服と
休みの日の服を切り分けたくなくて、
職場で引っかからないぎりぎりの
ゆるいオフィスカジュアルとして
着ていける服を
よく探していました。
仕事中でも、
自分の好きな服を着ていれば、
自分を見失わずに済む。
そんな感覚を、無意識に近いレベルで
ずっと持っていました。
今、10年近く前に理想に掲げた
生き方が叶って、
オフィスカジュアルのことを考えずに
自分の好きな服を着られることが、
最近やっと楽しめるようになってきました。
そう思えるまでに2年かかったのは、
会社員時代の服の多くを
手放していったからだと思います。
“衣装”は
“一生”を左右する。
オフィスカジュアルが
求められる場においても、
自分の好きな服・着たい服を
見放さなかった結果、
「着る服に見合う仕事」が、
自分の手元に
やってきてくれたのかもしれません。
◆ 好きな服を選び放題な今、
改めて応援している服屋さん ◆
「お買い物とは、
どんな社会に一票を
投じるかということ。」
その想いを、
ファッションを使って
提案していくスタイルが
たまりません(*^^*)
いま自分が磨いている能力は、
【この先新しく出会う人】
その人のために
力をつけていきたい
と思って
磨き続けているけど、
実は、
【最も遠いところ】ではなく
【最も近いところ】に
自分の能力才能を
強く必要としている人がいる
そんな仮説が立つような場面に
出合うことが、
最近本当に増えた。
遠いところに届けたいと思うときにこそ
大切なことは、
せまい半径に届けること。響かせること。
いつかは、
自分の文章を
最も必要としてる人間が
最も自分に近い
自分になる気がする。
未来の私は、
過去に磨き続けてきた
自分の能力に
いつか必ず驚かされる。
言葉だけじゃいつも足りないのは
その手を繋ぐ意味を残しているの
『タユタ』 RADWIMPS
人と深くかかわっていくとき、
言葉を尽くすほど
「結局 言葉では満たし切れない」
ということが
よく分かるようになっていく。
一方で、
そう思えるところまで
深くかかわりたい人がいる
という幸福感は、
言葉の存在をも超えてしまう。
言葉だけでは力不足
かつ、
言葉は
用いなくても、その力を発揮する。