暗闇に出くわすたびに、

光があることを

信じられなくなる。




つらさで立てなくなるとき、

前向きな自分が

嘘に思える。




絶対に失くしたくない

「大切」を

壊しそうになることがある。





そんな普通じゃない自分の感覚に

私はいつも打ちのめされるけど、

居座る恐れを吹き飛ばせたとき、

本来の自分は、

必ず何かをつかんで戻ってくる。






迷っても、簡単には諦めない。





やっと戻ってきた、


元は居なかったはずの

新しい自分。









寂しい気持ちを、
自分ひとりで扱い手なずけることが

私にはなかなかできない。


今にも破裂しそうな緊張感が走る

そのときまで、
思いを膨らませ続けてしまう。


そんな厄介に見える感情は、
思いがけない場面で
溶かされていくことがある。


近所に住んでいる人

カフェの店員さん

薬局の薬剤師さん




寂しさは、
うまく扱うものでも、
対峙したり
紛らわすものでもなく、


すれ違うほどの速さで
偶然、そこに居合わせた人との間で
癒えていくものなのかもしれない。








 

 

 

今日は母の6回目の月命日でした。

 

 

 

母を送り出したあとすぐの一か月間ほどで、

本人の親戚友人だけでなく、

私が母に会ってほしかった人も含めて、

数十人の方が来訪してくれました。

 

 

 

「大体、半年後くらいが一番つらかった」

 

 

 

仏前で、決まって話の後半になると

人を変えて繰り返し私のところに届く、

“遺族が感じる最もさみしい時間”

それは、

「亡くなった直後」よりも

「半年後」でした。

 

 

 

私の場合、そのピークは

4か月後に訪れました。

 

 

 

 

命が閉じる瞬間。

入院してから数日で様変わりする姿。

救急車を呼ぶか迷った表情、

徐々に家で生活がし難くなっていく様子、

治療で通院する朝の憂鬱そうな顔、

手術した日のこと、

病気が分かってからのこと。

 

 

現在から近い過去の出来事から、

順番に、自動的に、溢れ出てくる。

 

 

その脳内再生が

何日も、何回も繰り返されると、

いつもの自分で居られないような、

居てはいけないような気分に

なっていった期間がありました。

 

 

死亡後の実質的な手続きができる人が

他にいなかったので、

喪に服している時間が

自分の場合はとても短かったから、

ほかの人が教えてくれた

「半年」よりも早くに

さみしさを感じる時期を迎えたのだと思います。

 

 

 

 

フラッシュバックが続いていた期間に、

最も苦痛だった家事が

料理です。

 

 

料理が上手い母が作るものは、

いつもどんなものが出てきても

絶対においしい。

 

 

その母が使っていたのと同じ台所で

作った自分の料理を食べる時間は、

 

「何をどうしたところで、

 母の料理はもう一生食べられない」

 

ということを思い知らされるだけの、

“食事”でなく

“エサ”の時間になってしまいました。

 

 

 

 

 

最近、今度は父の心配が続いていて

私自身が外出できなくなったこともあって、

母が遺していった冷凍食や缶詰で

料理することが立て続けにありました。

 

 

 

自分が普段選ばない食品を使うと、

当然ながら目新しい料理が完成します。

 

そこには、

作った自分以外の

誰かの気配を感じるほどです。

 

 

出来上がったそれが、

母が作ってくれるようなメニューとは

まるで違っていて、

見た目や味付けが立派ではなくても、

 

あたかもそれが

「お母さんのごはん」であるかのように

食べることができている自分を、

あるとき発見しました。

 

 

 

それは、

 

私や父に食べさせようと思って食材を買った

母の“意志”が

その材料に乗っているから

 

なんじゃないかと思います。

 

 

 

母が私を応援する気持ちは、

生きている間も、

そばにいられなくなったあとも

変わらないことを、

半年後の今になって

思いがけず知ることができました。

 

 

 

 

数日前は、

母が父のために買い置いていた

アメを食べました。

 

 

「ここには母の意志がある」

とイメージすると、

やっぱり、

そのアメの味が消えるまでの数分間は、

母が用意したあの食材で作る料理と同じように

母の気配を近くに感じることができました。

 

 

 

 

 

私の人生には、

母との楽しい思い出の方が

多いのにもかかわらず、

どうしても母の“苦しい局面”ばっかりが

何度も現れてしまう、

あのフラッシュバックの訳を、

あるとき私は堪らず仏前で

直接母に訊くことにしました。

 

 

すると、

 

「私が“しんどい”って言えなかった分まで、

 苦しんでくれてありがとう」

 

と聞こえてきたような気がしました。

 

 

そこからは、

母のつらい時間を思い出す時間が

明らかに減っていきました。

 

 

 

直接会えなくなってしまった人を

追いかける気持ちは、

それが叶えられないからこそ

苦しくなるけど、

 

その人が生前持っていた“意志”には、

何ものかを通じて、

遺された人を

何度も励まし続けてくれるような

強力な力が備わっていると思います。

 

 

 

 

 

 

亡くなった人の意志は、

生きている時間も、

そのあとも、

別の人の命のなかで

永遠に生き続けます。

 

 

 

苦しい局面でこそ、

引き受けたその意志に

気付くことができるときであり、

応援されるべき瞬間なのだと思います。

 

 

 

 

 






楽しい時間は

美味しくて、

すぐに食べ終わってしまう。



だから

ゆっくり味わう。




勿体ないと思うほどの

楽しい時間に、

保証されていない未来の中で

何度も会いたい。






 



少し前から、

家で作る

料理の品数が減っている。



元々少ない調味料しか

持っていないのに、

それを調理中に使う機会も減った。



それは、

自分で味を付けた料理を食べると、

母の味と比べて

美味しさを感じるセンサーが

働かなくなってきたから。



味付けの要るレシピを

避けるようになってから、

食べる楽しさの追求

よりも、

身体に入れるものに

より気をつかいたくなってきた。




料理の引き算は、

結果的に

食事摂取量の引き算にも

なり得る。








自分が望む通りの姿を生きている

「よくできた自分」が、


あとになってみると

ときに敵か脅威にまで

思える瞬間がある。



無敵の自分が、

身動きのとれない自分を

せかして蹴飛ばして

もっと動けなくさせる。



でも、

「よくできた自分」が

過去の時間にだけ

存在しているように見えるとき、

それは大抵見誤っている。



過去にできたことは、

それ以上の力を

未来の時間に発揮できる。



そう信じられたとき、

「よくできた自分」は

自分を押し上げる一番の味方に変わる。












自分が大切にしているものを

失くすと、


その大切さが

自分の中の多くを占めるほど、


失くしたときの喪失感を

未来に先送りするのかもしれない。



それは、

複数の時間軸に

悲しみを分散させることで、

失った直後の自分の状態を

保つための安全装置。





失った直後よりも

時間が経ってからの方が

辛く感じるのは、


自分はそれを

本当に大切にしていた

という証拠になる。









少し前から、

思い出すと辛くなるシーンが

繰り返し脳内再生されて、

他のいいことに使われていくはずの

エネルギーをふきこぼし続けています。



繰り返し再生される

その場面は、

当時の自分が感じることを

閉ざしてしまった手触りを、

今頃になって

探り始めたのかもしれません。



苦い記憶が

美味しく変わることは

端から期待していないけど、


いつか無味になって

何も感じなくなるのかと思うと、

それもまた切ない人間の機能です。







人が作ってくれる食べ物と、

人と一緒に食べる空間に

感動する機会が増えたのは、


一人の食事が

多くなったからだけじゃなくて、


食べることを大事にする人が

周りに増えてきたからだと思う。



自分を取り囲む人が、

自分の大切にしたいものを

同じように大切にしているというのは、

当然のことのようでいて

奇跡的に幸せなことだと思う。









自分に光が足りないときは、

他に照らしてもらう。



それは、

隣に居てくれる人


もしくは、

神様が降らしてくれる明かり。