成合弘先生
ありがとうございます。
今日やっと成合先生に気を集中するのか、私などが僭越ではあるけれど気を送らせていただくのか、と一瞬気づきました。
遠隔の事などもはじめからお話があった、と思い出しました。
内観での事を文にすべきではないとも思いましたが、成合先生は私の先生ですのでご報告させていただきます。
内氣功につきまして、
座位から立位、瞑想や座禅が内氣功という名前に変わっただけで
内観することは一緒だと、ずっとそのような心構えでしてきました。
また、例えば人に整えていただいた然るべき場所で座禅をさせていただくと、たちどころに、私のようなものでも少なくとも
「何て有り難いのだろう!!」くらいは感じるもので、またそれが真人間や健康に通じるベースだと、肌では理解しています。
待機もそこは共通だと思っています(実際はそのように見えてないのは口酸っぱく言われて分かります。分かったような事も言うべきではないです。申し訳ありません)。
座禅であれば目を閉じて、黙って、ゼスチャーも含めて話すことは一切なく同じ姿勢を安らかに保って行われます。
しかしながら、ずっと疑問だったのが、この内氣功では完全に内側の観察に集中するわけでもなさそうだと言う事です。内を観るのか外を観るのか分からなくなるのです。
見せるように氣功をするとまで成合先生からお言葉がありました。
外で、色んな方々が利用する場所で行うので、外待機に近いと判断して毎日立っていました。
目を開けていなければならず、内観のために立つといって実際は内観は多少ある程度で、気が散っていると判断していました。
学びがありましたか、と聞かれたら
分からないという学びがありましたと言えばまだリスペクトがある言葉遣いだったように思います。
分かったとは、とてもとても言えませんが、一瞬気づきがありました。
→
ありがとうございます。
今日やっと成合先生に気を集中するのか、私などが僭越ではあるけれど気を送らせていただくのか、と一瞬気づきました。
遠隔の事などもはじめからお話があった、と思い出しました。
内観での事を文にすべきではないとも思いましたが、成合先生は私の先生ですのでご報告させていただきます。
内氣功につきまして、
座位から立位、瞑想や座禅が内氣功という名前に変わっただけで
内観することは一緒だと、ずっとそのような心構えでしてきました。
また、例えば人に整えていただいた然るべき場所で座禅をさせていただくと、たちどころに、私のようなものでも少なくとも
「何て有り難いのだろう!!」くらいは感じるもので、またそれが真人間や健康に通じるベースだと、肌では理解しています。
待機もそこは共通だと思っています(実際はそのように見えてないのは口酸っぱく言われて分かります。分かったような事も言うべきではないです。申し訳ありません)。
座禅であれば目を閉じて、黙って、ゼスチャーも含めて話すことは一切なく同じ姿勢を安らかに保って行われます。
しかしながら、ずっと疑問だったのが、この内氣功では完全に内側の観察に集中するわけでもなさそうだと言う事です。内を観るのか外を観るのか分からなくなるのです。
見せるように氣功をするとまで成合先生からお言葉がありました。
外で、色んな方々が利用する場所で行うので、外待機に近いと判断して毎日立っていました。
目を開けていなければならず、内観のために立つといって実際は内観は多少ある程度で、気が散っていると判断していました。
学びがありましたか、と聞かれたら
分からないという学びがありましたと言えばまだリスペクトがある言葉遣いだったように思います。
分かったとは、とてもとても言えませんが、一瞬気づきがありました。
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何て有り難いのだろう!!
を実感できていたら、近々きちんとピントの
合うときも訪れそうです。
「出したものが、返る」
という勉強は、体感したほうが早いですよね。
(そもそも出さないと返りませんから、
体感自体ができません)
◯待機について
自分を人として保ち、
他者を人として尊重できているとき
ようやくリスペクトの気が循環するように
なってきます。
無理をすることなく、人から尊重されるように
なってきます。
それらを踏まえて、ベストの待機とはどのような
ものであるのか、などと、実際の待機中に考える
のはおすすめできません。
出ている気は、迷いだけです。
少なくとも前日までには、その時点でのベストの
待機をイメージしておき、本番では、はじめから
ベストの待機で臨むことが重要です。
(早く準備をすればするほど良いです。
やっているうちにわかってきますが、本当は
前日でも遅いのです。
決めきれないことで成果が出ない、典型的事例で
あると言っても良いでしょう)
ところで、
指定させていただいた時間帯に気功を行っていない
ことが気がかりです。
どの時間帯でも、同様の効果が得られるものでは
ないからです。
やるのでしたら、きちんと実力をつけて
いただきたい、と思っています。
(これはおそらく、指導者共通の願いです)