Q.

(前略)

今回の国際交流においても、代表としての行動から外れ、側近をつけず、自分で営業部長をしてしまったように思います。

(以下略)





A.

側近体制が難しい、という声をよく耳にします。難しい、と思ってしまうとマクロの視点(広い視野)を失ってしまいがちですので、ちょっと格物から入ってみようと思います。


◯側近体制問題(格物)

側近体制は難しいな、と思ってしまうと、側近の存在や自分との関係性にばかり(つまり目の前で起こる出来事にばかり)注意が向くようになるので、側近体制を得ることの意味を忘れてしまいがちです。

そうなると、一般的に「作業を的確にこなす人間=実務能力に卓越した人」を側近に求めるようになります(自分の代わりに実務を担当していただくので、そう考えるのは自然です)。

作業を的確にこなす人は、全社会的に求められている、いわば「確実に有能な人材」ですので、必然的に確保は難しく、結果、側近体制を形成することは難しくなってしまいます。

(そこにいつも笑顔でほがらかで・・などなどハードルを上げていくとなおさらです)


◯格物(その2・見落としがちなマクロの視点)

そもそも、VIPやSUPERSTARとご縁を持ち、ちょっとしたお手伝いをさせていただくだけで、周囲からその人は「側近」と見なされますし、また事実、その人は側近です。


◯側近体制について

自分の社会の中での役割について明確であれば(たとえばTOYOMIさんは聖地保存会の代表者でいらっしゃいます)、自分の周囲の人たちは、(社会からみると)すべて側近に見えています。

運転手さん、お手伝いさんなど、多数のみなさまに囲まれて生活をされていらっしゃるTOYOMIさんは、すでに多数の側近さんをお持ちなのです。


◯会食

我々が会食をさせていただくとき、安全な空間、お料理など、すべての準備をどなたか(通常、大人数)にお願いさせていただいています。

TOYOMIさんと同席させていただいている我々はTOYOMIさんの側近であり、レストランのかたがた
(もちろん料理長、仕入れ担当の皆様、セッティング担当の皆様、etc.)も、皆さんTOYOMIさんの側近として動き、また事実、側近さんでもあるのです。

(仕事上での接待は、こうした事実の確認の場でもあります)


◯何をしたから「側近」ではない

たとえば秘書グループであれば、我々の活動に噛み合うことができるように特定の「DO」の技術(習慣)やマナーを磨いていただきますが(たとえばお礼状のマナーなど)、極論すれば、近くにいる人はそれだけで側近になりますし、秘書であればすなわち側近です。

公式行事でTOYOMIさんの隣に座る人たちは、それだけでTOYOMIさんのご側近に見えます。

TOYOMIさんの周りにいる人は、すでにTOYOMIさんのご側近です。


◯側近問題の本質

「自分には側近がいない」と思ってしまうことに問題があります。以前、TOYOMIさんのご側近として磯野家体制をつくりましたが、「側近を持っている」「側近が存在している」という意識が重要なので、さすがに事実として側近を持っていれば、自分に側近がいるのかどうなのか自明になるだろう、ということでつくったわけです。


◯側近への意識が希薄なことのリスク(格物)

TOYOMIさんの周りの人間は、天の世界(神職、僧侶)のみなさま、財団のTOP、王族、マスメディアのTOPなど、みな、側近体制に守まれしかたがたばかりです。

したがって、TOYOMIさんはそうしたかたがたの側近であり、またそうしたかたがたはTOYOMIさんの側近さんでもあるわけです。


ところで世の中の大半のかたは、側近意識はもちろん、側近体制とは無縁の人生を送っていますから、VIPとご一緒させていただいても「ラッキー」くらいにしか思いません(側近の意識はないです)。

側近への意識が希薄だと、そうした大半のみなさまと同様の扱いを自然に求めるようになり(また同様の意識に近付き)、結果としてVIP世界のみなさまも、大半の側近体制とは無縁な世界のみなさまも、どちらも混乱させてしまうことになってしまいかねません。


そして最大のポイントは、「側近がいない」と宣言することが、すなわち「自分はVIP(要人)ではない」と宣言することと同義である、というところです。



◯TOYOMIさんのご側近はVIP

「天の人」TOYOMIさんのご側近は、VIPとして扱われます。そのことを、TOYOMIさん自身がご自覚されることが、まず何より重要です。

(そして実際我々は、常々の感謝の気持ちと、日常起こる数々の無礼を、お詫びさせていただく日々になるわけです)


※今回の国際交流において、サラワスティ財団さんはTOYOMIさんのご側近さんです。日本でご協賛くださるみなさまからは、そう見えていますし、事実そうです。  

(本当はもっと広範囲なのですが、長くなりますので省略します。視野の問題である、ということです)