平日は都内の娘たちの通学用の住まいに居候

土曜日の朝

神奈川の家に戻るのがルーティン化しています



夫が地方勤務となり

神奈川の家は空き家になっていて

郵便物の受け取りと空気の入れ替えに

戻っています



それだけのつもりが

主婦って色々ある



やはり10年住んでいると

神奈川に主婦なりの人間関係があり

歯医者や美容院も含めてね

ちゃちゃっと帰ることにはなりません



先週は早々からモーニング

娘2人がお世話になった

新体操の監督と先輩ママと

喫茶店で集合しました



すでにマイカーを処分してるので

先輩ママにお迎えを頼む図々しさよ

申し訳ありません



その喫茶店で

つくづく人生はわからないものだなぁ

と思いました



トーストをパクつきながら

なんなんだこのメンツ…



まるで幽体離脱したみたいに

その光景が嘘かまことか?はて?

みたいになっちゃって




その監督のこと

10年前はどうしても理解できなくて

大っ嫌いだったから



そんな人と朝から待ち合わせして

監督手作りお味噌をお裾分けしてもらい



わぁ嬉しいありがとうございます

のやり取り…、からのモーニング



和気あいあいと自分の近況報告までして

和やかな時間を過ごすなんて

思いもしなかったことです




何があったんだー

時が解決するってこういうことかと

実感した次第です



平和主義なもので当時は

自分に嫌いな人がいることも許せなくて

落ち込んでたし



日々監督から発せられた言葉がリフレインして

寝込んだりしてました



当時40歳

娘の成長だけが生きがいみたいな

いかにも世間知らずな母だったから



長女がレギュラー取れなくて

その事実を受け入れられず

寝込んでたわけです



たかだか中学生の部活を

我がことのように悩む親

笑っちゃいますね




今となっては

実力の差で仕方がなかったこと

娘にはありがたい試練だったとわかるのですが



当時はね

なんで私の娘がーーっっ

監督ひどい!と本気で思ってて

娘にも超スパルタ親だったし



監督には夫と共に呼び出されたことも数回

きっと頭に血が昇っている私に

何を話しても無駄とお見通しで

夫を呼んだんだと思います



なのに大の大人に説教かよっ!

と反発してましたね



私の入れ込み具合は

一歩間違えばモンペ状態でした




目の前の小さな出来事しか

見えなくなっていた自分

あーぁ、私の黒歴史です



監督はクセは強いですが

選手だけでなく親育てまでしていたわけで



結果

娘たちだけでなく私の恩師にもなった

というわけ



娘本人がやりきったから

私の見方が変わったのもありますが

育ててくれて感謝しています



今は母娘で恩返しのターンです

この日は役所へ補助金申請の提出書類をチェックしました



私もできる範囲で手伝うようにして

頑張りすぎないように気をつけています



50代になりよかったことは

苦手な人間関係、お付き合いが少なくなったこと



地域の仕事(地元のお祭りの手伝いとか)や

保護者会の飲み会とか

子どものためにと顔を出してましたが

無理してたんだなぁと気づきました



残る懸案は義実家の付き合いだけ

これは夫自身の問題で

私が手を尽くす必要はないし



50代、だいぶ肩の荷が降りてきました

もっと楽しい日々にしたいと思うこの頃です