皆さま、おつかれさまです。
『好きになる』という事。
それは、 " 感情の基準を設ける " という事。
『嫌いになる』という事。
それも、 " 感情の基準を設ける " という事。
例えば、「ある物事」に触れた時、もしも心が無反応だったのなら・・・
その「物事」に、愛 は存在しないかも。
そんな気がするんです。
" 先 " の事を考えると、不安になったり、ワクワクしたりする事って、ありませんか?
" 過去 " を思い返すと、何だか歯痒かったり、楽しくなったりする事って、ありませんか?
" 刺激 " とは、『愛』。
「刺激的な愛」なんてのは、ドコか滑稽な表現で、そもそも " 刺激 " ソノモノが、『愛』。
揺らぎ、浮き沈み・・・
心が、何かに反応する事。
『愛』
「愛を求める」というのは、
「主観的に手応えを欲している状態」だと、
思ったりするんです。
しかし・・・
色んな事を知りすぎてしまうと、
" 刺激 " はどんどん遠ざかっていきますね。
でもでも・・・もっと知りたい。
もっと触れたい。
なのに、『幸せ』になりたい。
・・・ヘンなの。
過去(記憶)も未来(イメージ)も無くなっちゃえば、『愛』は無くとも『幸せ』かもね。
「かも」、ですよ?
ね?
わかりませんよね?
こんな話。
もし、キモチワルイとか感じたら・・・
しっかりと『愛』が在った証拠です。
『愛』は、宇宙に充満してます。
たぶん。
各々、自身のアンテナが、ソレらをどの様に受信しているのか?
観察する事が、リラックスへの入り口です。
マジで。
ま、どーでもイイんですけどね。
しょーもない。
気にせずガンバリましょう。
・・・ナニを?
・・・?
結局、ナニが言いたかったん?
よーワカランし、どちら様もどうぞ相手にしないように。
ね?
さてさて、クダランお話は無かった事にいたしまして~・・・