皆さま、おつかれさまです。
今、 " 思い付いた " んですけど。
『個性』・・・と、関係あるのかどうか。
誰もがそれぞれに、『光るモノ』・・・みたいなモノ、持ってるとか持ってないとか。
例えばこの場では、ナニかしら持ってるモノとして。
そのモノの輝きの強さを知りたいのなら、それを暗がりへ持っていけば、ソレの " 輝き度 " みたいなもんがワカりやすい筈。
明るい場所でも " ワカらなくはない " だろうが、その輝きは『暗がり』の方が、より、ワカり易かろう。
その輝きあるモノを昼間の日差しの下で輝きの強さを観ようとしても、なかなかにワカりにくいのではなかろうか?
この文章の様に。
この場合、ソレが太陽よりも強い輝きでなければ、ソレがいかほど輝いているのかは確認しにくい気がします。
『輝き』はやはり暗がりの方が、ワカりやすく確認出来るものかも。
明る過ぎるステージで、「輝きたい」という欲望を持つ事も大変に素敵ですが、自信の身の丈に合った欲望を持ち、着実に物事を実行していく事も、なかなかに大変な事でしょう?
ね?
本来の自分のステージで、能力に見合った仕事を。
・・・そんなもん、滅多な事では叶いませんよね?
そうでもない?
・・・。
もしかしたら、 " そうでもない人 " には、『そうでもない』事なのかもしれませんね。
「自分は、何が好きなのか?」
「本当は、何が嫌なのか?」
ちゃんとワカってますか?
アナタはアナタにとって、面白い存在でしょうか?
興味深いですか?
関心がありますか?
さっきから、疑問形が多くないですか?
ね?
" 知りたい " 時、ついつい『知ろう』としてしまいます。
これが、苦しみの入り口であり、解決の糸口。
「知りたい」と感じさせていただいた事こそ、正しく、刺激(愛)を受けた証。
" 自 " への愛。
" 他 " への愛。
滞る事は " 有り難い " 。
" 難い " のワケは、『無』の可能性。
ただし!
『無』に愛が無い確証なんて、無い。
更には、どれもこれも『主観』でしかない。
" 自分を信じる " 上で、この理解は避けられない。
そうでしょう?
・・・そうでもない?
・・・。
でも、こんなクダラナイ事ばっか考えてんのも・・・
『輝き』の一つでしょう?
こんな駄文をこんな位置まで読ませたのは・・・
僕(僕ではないナニか)のチカラですよ。
たぶん。
そんなもんですよ。
さっさと苦しんで、まったり楽しみましょう?
ね?
・・・ワケわかりませんね?
さて、ほんとナニ喋ってんのかワカんなくなってきたんで・・・
自転車にでも乗りましょうか。