皆さま、おつかれさまです。
時々思うんですけど・・・
例えば、目的地になかなか辿り着けない時、
「今、街の中でガッツリ道に迷っているのは、この足止めによって本来遭うハズだった事故をうまく回避出来たという事だ」
とか・・・
理性が保てなかった時、
「・・・確かにうっかり中に出してしまったが、それは別にウッカリなんかじゃなく、実は自分の本能に忠実な判断で、実に核心的な行動であって、ちゃんと自分なりに納得してのアレだったり、ある意味での自信の現れっていうか、ナンていうか・・・」
とか。
・・・って、2例目のヤツは見事にテンパってるカンジですねぇ。
そんな事もありつつ・・・
占いやスピリチュアルを " 超常的 " なニュアンスで崇めている方は、現状にテンパってる証拠です。
ミえるだのミえないだの・・・
感じるだの感じないだの・・・
ワカるだのワカらないだの・・・
それは単に、
" ミえる " 側が " ミえない " 側よりも冷静なだけ。
ね?
互いの平常心が同レベルの場合、そこにはもう「ミえる」だの「ミえない」だのというフワフワした概念は存在せず、フラットな関係性でコミュニケーションが発生します。
たぶん。
テンパってる方に「アナタ、テンパってますでしょ?」と、お伝えするだけで不思議と成立する関係性を感じた事、ありませんか?
Aさん
「・・・ハァ・・・アノお金、どうしよう・・・?」
Bさん
「あら?Aさん、もしかしてお金に困ってたりするの?」
Aさん
「えっ!?Bさん、何でわかったのっ!?」
Bさん
「何で?って、お金に困ってそうだったから・・・」
Aさん
「スゴい!Aさんって、もしかして霊能者とか!?」
Bさん
(・・・あぁ、この人、考えてる事が声に漏れてる事もワカらんほどテンパってるのか・・・)
・・・みたいな。
リラックスして相手をキチンと観察し、感じ取った情報を素直にお伝えする。
ただ、それだけで・・・
ね?
各々、自分の優位感覚によって・・・
見える、聴こえる、感じる、など、など。
ある程度『リラックス』を操れるのであれば、『心地好いコミュニケーション』の実現は可能だったり。
まぁ、少なくともこんな駄文にお付き合い出来る方は、現在のところ冷静で、心に充分なゆとりがある証拠です。
・・・何でもイイんです。
自分なりの " 気 " を " 澄ます " 『何か』があれば、平常心で過ごせそうですね?
もし、自身がリラックスして過ごす事が出来るのであれば、触れ合う周りの存在に『癒し』を提供できるのかもしれません。
そうですね・・・
今、アナタが思い付く " 冷静な方 " にお会いしてみましょう。
" 大きな存在 " と過ごしましょう。
" それら " が思い付く時は、現在テンパってる証拠です。
" それら " とうまくお付き合いして、自分自身とのコミュニケーションを育んでみるのも、面白いものですよ。
「超常的だ」と感じたら、それがアナタの真実。
「しょーもない」と感じたら、それがアナタの真実。
どういう風に " 感じる " かで、宇宙は自由に創造出来ます。
そうでしょう?
・・・そうじゃない?
『そう』感じたら・・・
『それ』が真実。
さて、そんなツクリ話はどうでもイイんですけど・・・
銀のエンゼルが5枚集まりました。