皆さま、おつかれさまです。






































さて、









































「この世の悪は!許さねぇ!」



































「悪とはッ!排除すべきものっ!」




































・・・などなど、まるで " 悪 " なるモノを全力で否定しているような表現と遭遇することがあったりします。




































僕は、こういった表現は『自己否定』だし『現実逃避』の現れだと思ってます。




































そもそも、『悪』という概念や発想自体が " 個人のエゴ " だと思います。




































物事に対して勝手に自分のモノサシ(イチ個人の経験則や得た知識など)を押し付けてはかって、

「これは、善(自分に都合の善いもの)」だの、

「これは、悪(自分に都合の悪いもの)」だの。




































幼稚ですね?




































人助けにしても人殺しにしても、各々個人個人の価値観や正義感に則った表現でしょうから。




































何にしても、 " 許す " か " 許さない " かはアナタ次第です。




































本当にこの世の中から " 悪 " を無くしたいのであれば、先ずは「悪なんて存在しない!」という事をガッツリと信じきってみましょう。




































・・・どエラい注文ですねぇ。




































意識の中に存在や概念自体が無いモノは、先ず発想にあがってこないし、表現にまで至りませんよね?




































そうです。





































 " 信じる力 " があれば、この世から『悪』を消し去る事は可能なハズなんです。




































勿論、『善』も。




































・・・マジで?




































「この世の悪を無くすためにぃ~・・・」




































・・・みたいな感じの表現をしてる方は、

「この世の何処かに必ず『悪』が存在している」

という決めつけがあるから、そんな発想になっているんでしょう。




































 だって、" 悪 " 在りきの表現ですから、 " 悪 " の存在を完全に認めてしまっている証拠ですね。




































そういう方々は、 " 悪 " という存在が無くなるほどに自身のやりたい表現のネタが乏しくなってくるので、実は " 悪 " を支持・存続させている『悪ファン』だったりするのかもしれませんね。



知りませんけど。




































『悪駆除』を謳うという行為は、

「自分個人にとって都合のよい世界は、みんな(自分と自分以外の存在)にとって理想の世界である」

・・・というエゴをアピールしている様に感じます。





































・・・感じるだけですが。




































アナタが仰るその「悪」って、何かにとってはとても大事で崇高で美しいモノだったりする事もあるワケで・・・という意見は届き難い状態なのでしょうか?





































まるで、善かれと思って自慰行為を世間に向けて見せびらかしているような・・・。





































・・・別にイイじゃん。







































そんなヤツ、ちょっと見てみたいし。







































関係ございませんが、僕はしばらく番組予約の " Gコード " の事を意味もわからず音だけ聞いてて " 自慰行動 " と勘違いしていた時期がありました。




































当時、世間では老若男女の誰もから「ジイコウドウヨヤク、じーこーどーよやく」と聞こえておりましたもので、そんな中での僕は「世の中、もういよいよ末期だな」と密かに思っておりました。





































・・・。





































さてさて、そもそもこの世の中、個々の互いの認識が完全一致する『悪』なんて存在は、無い。



































勿論、『善』も無い。




































・・・そうかぁ?





































『善』や『悪』が唯一、存在する場所があるとすれば・・・





































個人、一人一人の意識の中にだけでは?







































ね?





































つまり " 悪 " の正体とは、個人が身勝手を極めた " 決め付け " の事だと思います。





































生きてる間、各々が持つ決して他と一致することの無い価値観や信念の類い。





































愛しいですよね。






































あなたが「これは悪だ」と感じれば、それはもう偽りなく『悪』です。




































あなたが「これは善だ」と感じれば、それが『善』であるのは真実でしょう。





































人って、 " 共通の悪 " を持つもの同士、 " 共通の善 " を持つもの同士が群れを成していませんかね?




































何だか、どこぞの宗教っぽいですね?




































・・・ドコの?






































例えば、共通の「 " あの人 " 嫌い!」という方々が集まれば、これはもう、ある種の立派な宗教団体ではないでしょうか?














































それは、「 " これ " が好き!」の群れも一緒。




































経典の内容は、

『コレを好きになり、アレを嫌いになろう』

です。




































 " コレ " を好きになれる者や " アレ " を嫌いになれる者、若しくは、その両方が可能な者がその教団にスルスルと入信していきます。




































映画、カラオケ、乗り物、セックス、料理、アイドル、旅行、テロ、経営、スポーツ、蟻の観察・・・など・・・など・・・など・・・。





































ね?





































自分の中で、「悪は、一切存在しない」と信じきれない内は、いつまで経っても " 悪 " はしっかりと在り続けるでしょうね。









































はい。







































ま、どうでもイイんですけど。





































マジで。





































僕というモノは、皆さんにとっての " 悪 " であり、 " 善 " 。






































さぁ、どっち?








































そんなもん、決めても決めんでもいいでしょう?








































無視するのも構うのも・・・








































判断は、自由ですよね。








































さて、










































今日も遊ぼう。