皆さま、おつかれさまです。



































突然ですが、「 " 演説 " って、鬱陶しいな~」って思った事のある方、実は多いのではないでしょうか?






























例えそれが、誰の " 演説 " であっても。






























 " 演説 " を目の当たりにすると、何故か演説の発信源から「距離を置きたい!」って感じる事あるでしょう?






























だって、そもそも " 演説 " の語源は『縁絶』だからですね、やはり先人たちの本質の見極めというものは、真理に則った表現が成されているわけです。






























僕が思うに昔の人たちは、



「演説するような奴とは付き合うな」 



とか言ってたりしてたんじゃないかな~って思うんです。






























そんな当時は、演説する方はする方で、



「例え、あらゆる者との縁が絶したとしても、伝えねばならない事柄がある!」



という覚悟で壇上に上がっていたのではなかろうかと、推測しております。






























そうです、皆さん。






























ウソです。






























大体、『縁絶』って何?






























お手持ちのケータイ端末で " えんぜつ " を変換したとて、まず出てきませんよ、そんな単語。






























だって、今回の冒頭の「皆さま、おつかれさまです。」を入力してる最中に僕が勝手に思い付いた単語ですからね。






























これと、何となく



「そういや演説って、たまに内容スッカスカで、やたら声だけデカいオッサンがやってることあるよな~」



って急に思ったものですから、それらを丁寧にブレンドいたしました。






























そうなんです。






























毎回、特に何もネタが無いんで、こんな感じで無理やり文字数を稼いでおります。































思い付きですよ。



表現なんて。






























しょーもない。






























そしていつも感じることは、






























こんなヒマな駄文をこんな位置までわざわざ読めている『超絶ヒマな方々』は、本っ当~に贅沢な時間の使い方の出来る幸せ者ですね。






























僕だったら無理かも、こんなん読むの。































さっ、このように、またまた今回も沢山の『幸せ者』を量産出来ました。






























見事です。































僕は、理屈ではなく実際にナマナマしく『幸せ者』を作り出す、または生み出すことを得意としております。































どう?コレ?
































納得できる?
































僕だったら、ほとんど納得できませんね。































しょーもない。






























結局、今回は " しょーもない回 " でしたということで。
































『今回は』じゃなくて、『今回も』か。
































あっ、そうそう。




































『銀のエンゼル』5枚集まりました。