短編 金と銀の器 ⑩

汽車が九州に入った頃には、弥生もさすがに疲れていた。汽車で嘉吉の隣に座り凛としていた弥生も、眠くなり、嘉吉の肩に頭を乗せたまま眠り込んでしまった。


嘉吉は、まだ妻となった弥生の手しか触ったことが無いのである。弥生から漂う若い女性特有の香りに嘉吉は魅了されてはいたが、突然にであっても妻となってくれた弥生を愛しいく思い、自分も弥生の頭に首を預けるように眠ってしまった。


走り続けた汽車が終点の長崎に到着したのは、翌日の夕方である。丸一日と半分以上の汽車の旅はさすがに疲れた。弥生は九州がかくも遠いものかと改めて思った。


また、はじめての長旅が嫁ぎ先への旅になり、同伴しているのは、先日婚礼を済ませたばかりの夫であることを思うと、父親、母親、姉の存在がこれほど、遠いものだと、改めて寂しくなった。


汽車を降りて直ぐに、嘉吉は宿に向かった。後ろを歩く弥生を気にしながら、ゆっくりと歩いた。


宿屋に入ると、番頭が「若旦那、ようこそ。ようこそ。」と迎えに出てきた。そして、後ろに立つ弥生を見て、ぎょっとして、「若旦那、こちらの方は?」と聞いた。


「ああ、紹介します。妻の弥生です。」と、自然な感じで紹介した。


「はじめまして、嘉吉さんの妻になりました、弥生です。」と答えた。


番頭は、「こちらこそ、はじめまして、「蔦や」の番頭をしてます松田です。


奥様、以後尾も知りおきを。」といい、「若旦那、おめでとうございます。じゃあ、お部屋はいつもの部屋では、困りますね。離れの部屋を用意します。」と案内を始めた。