週末に5年ぶりに幼馴染に会った。いや10年ぶりだろうか。
きっかけは、彼女の旦那様が体育指導のプロであること。
うちの息子の運動能力を上げる方法についてアドバイスを頂くために久々にラインしたことが始まりだ。
幼馴染は、その質問より先に、私に質問をしてきた。
私は「教えるということ」について、彼女から根掘り葉掘り質問を受けたのだ。
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数年に一度しか連絡を取らない彼女のデフォルメは私の故郷でもある街に住み続け、大学の事務をやり、子ども2人が成人を迎え、犬をこよなく愛し毎日散歩に行っているということだ。
なぜ彼女が「教えるということ」についてあれこれ質問したのか。
それは、どうやら彼女自身が教える立場に立ったからのようだ。
そして、そこに彼女のすばらしさがある。
大学の事務職もそれなりに給料はいいだろうが、彼女は短調な仕事に見切りをつけて、日本語教師になるために2年間勉強をしていたようだった。そして、晴れて日本語教師となったのだ。
しかし、「教えるということ」はもしかしたら簡単なものではないのかもしれない。私自身は20年以上教えることで身を立てているので、気付かないのだか、あれこれ質問をされながら、気付けば夢中で返事を返している自分がいた。
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最後に彼女は、「教える人に対して、教える仕事をしたら?」とアドバイスを受けてしまったのだ。そして、実はこういわれるのは初めてのことではない。
彼女には何度も「誰かに教えてもらったの?」と聞かれたが、20年以上かけて自分で考え抜いて気付いたことばかりだった。
だからこそ、人に伝えることでお役に立てるかもしれない。
ただし、物忘れが進みつつある年齢、だからこそ、記録に残したいと考えた。
今の時代、誰でも出版をすることができるのだ。それを思い出したら急に出版したくなった。
その後、教え子で本を出版する子にあれこれ教えてもらい、出版の可能性を探ってみた。
あとは、文書作成の得意な夫の力を借りながら、伝えたい内容を書籍にしていく作業をいついかに始めるかなのだろう。
人生は一度しかないからこそ、やってみたいことはどんどんと試してみたいと思えた瞬間だ。