ICT教育の急速な普及という新たな潮流の中で、気になっていたこと。
それは、教員であれば誰しもが持ち続けるべき視点。
目の前の生徒の特質や学ぶ傾向を観察し、生徒のやる気を引き出させる授業をデザインすること
これが欠落しているのでないかという不安がよぎったのだ。
画面や数字に多くの時間を割いた結果、指導の肝である「観察」をおざなりにしてしまったのではないか。
もちろん、昨今の高校英語教育には、
ICT教育の急速な普及に加え、
観点別評価の導入や、
論理表現の思考・判断・表現に対応すべきパフォーマンステストの導入など、
今までにはなかったことを多数取り入れねばならない状態が続ている。
また、平均的に見ると年齢の高い教員に見受けられることがあるが、
ICTの普及に対して「自分は消え去るものだから、ICTはやらない。」と、
いわば仕事放棄ともいえるようなことを、平気で教育論的に語る教員が存在する。
非常に残念な発言だと言わざるを得ない。
ICT教育は趣味や嗜好でやるのではない。
時代の流れに合わせて指導方法の変革が起こっており、その中にICT教育も含まれているのだ。
そして、新たな変革に柔軟に対応すべきことが教員に求められる資質ではないだろうか
なんてことを胸の内で熱く考えながら、
ICTに拒否反応を示す年上の教員もなだめつつ、ICTの普及を前向きの捉え先陣を切って進める教員は立派である。
私はそんな教員を応援しながら、さまざまな指導方法を学び続けたいと思っている。
そして、その他にも標準装備として、特に英語の教員は、
小テストや補習、
定期テストの種類や回数、
資格試験の面接練習の指導、
大学入試の英語面接の指導など、
他教科に比べ格段に仕事が多い。
もちろん、上記の中には「勤務時間外だから」と断ることも可能な項目も含まれているが、
目の前の、成功を熱望している生徒から依頼されたら、あなたは「時間だから」と切る捨てられるだろうか。
限られた時間であっても、空いている時間を使って指導するのが教員ではないだろうか。
そして、以上のように多忙ゆえに、
本来であれば最も時間をかけるべきことが、タスククリア的に終えられてしまう結果となる。
「卵が先か鶏が先か」的な考え方にはなってしまうが、生徒の英語学習の成長を考えたとき、
生徒の観察やと授業の調整・工夫が出きていない授業は、指導ではなくノルマの履行でしかない。
私が最も気になっていることは、そういった教員の取り巻かれている状況により、結果的に、
より良い学習を享受する権利のある生徒達こそ、教員が最も置き去りにしてしまっているのではないか
ということだ。
そして、上の視点で生徒の指導を考えた延長線で、今年度トラブルが起こった。