人から褒められたら嬉しいですよね。
ましてやそれが尊敬する人からの賞賛であったなら尚の事です。
誰かから認められたい、褒められたい、注目されたいという感情はあって然るべきだと思います。
哲学者であるカントは、他者から嫌われたくないと思うこと、そのような衝動や欲望を"傾向性"と呼びました。
承認欲求とは、本能に近しいものがあり、ここに強く囚われてしまうのも理解できます。
しかし、本能のままに、欲望の奴隷となって生きるのか。
そんなものは本当の自由とは言えないわけです。
アドラー心理学では承認欲求を否定しています。
なぜ承認欲求を否定しているか、それは他者の評価ありきで自分の行動を決定しているからです。
例えば、あなたがゴミ拾いをしていたとして、それを誰からも褒められなかったら、あなたはゴミ拾いを続けることができるでしょうか?
本来、自主的に始めたゴミ拾いであったとしても、承認欲求に囚われていては、他者に依存した生き方になってしまうのです。
褒められるからやる、怒られるからやらないも、結局は同じことであり、他者に預けた考え方です。
アドラー心理学では、人を褒めることも、叱ることも推奨していません。
褒めるという行為は、能力のある人間が、能力の劣る人間に向かって発信されるものであるからです。
そこには必ず縦の関係性が成り立ちます。
本心はどうであれ、自分よりも能力の劣る人間を操作するのが目的となります。
子供や部下を褒めてその気にさせて、自分の都合のいいように動かしていないですか?
縦の関係性では、評価がつきまとい、必ず競争が起こります。
そして、絶えず周りを"敵"として警戒しなくてはいけなくなるのです。
話を戻して、
どんなに人から嫌われないように振る舞っても、十人十色、人には色々な考え方があるわけです。
周りの人全員を満たす答えなんてあるはずもなく、必ずどこかで矛盾が生じます。
あの人の前ではこう言っていたのに、この人の前では真逆のことを話している。
嫌われないように努力していたのに、結果的に嫌われてしまっている。
周りの人や環境に自分が大きく左右されるため、一貫性や軸もなくなり、この人は何がしたいんだろう?と思われやすくなります。
本当の自分を誰も理解してくれない。。。なんて嘆いたりしますが、そんなの当たり前なんですよ。
だって出していないんだから。伝わりっこないです。
自分の人生を人任せにする。
これは、自分に嘘をつき、更には周りに対しても嘘をつき続ける不誠実な生き方なんです。
周りの期待についつい応えたくなっちゃう僕にはとってもとーっても耳が痛い‼︎(^^;;
本当の自由とは、他者から嫌われること。もっと言うと、他者から嫌われてもいいと思える勇気を持つということです。
あなたは周りを満たすために生きてはいない、そして周りもあなたを満たすために生きているわけではないんです。
今回はこの辺で
ではでは〜