鵜来島 豆知識 | 鵜来島!オレンジ船長の釣り談話 2024

鵜来島 豆知識


【鵜来島は愛媛県だった!?編】



鵜来島及び母島集落などの沖の島伊予領は、字和島藩の流罪の地でもあったのである。宇和島藩では、鵜来島、沖の島を遠流の地、日振島、戸島を近流の地と定め、重罪人は遠流の地、鵜来島、沖の島へ流したのであった。流された人達は、島扶持をもらって、食べるのにはこまらなかったようであるが、庄屋の下人になると、庄屋に食べさせてもらい、島扶持はなくなったという。これらの罪人が、島で不行跡なことをすると、庄屋からの申し出によって、手鎖をかけられたり、罪の趣によっては額に焼印をおされたり、領分を追払われることもあった。また、島抜けをした場合は脱牢と同じで、捕まれぱ、直ちに死罪になったのである。


沖の島の高知県編入
沖の島(弘瀬浦を除く)・鵜来島・姫島は明治になるまでは伊予伊達藩の所領であったが、明治7年(1874)行政区画の改正により高知県に編入された。明治7年6月7日付愛媛県参事江木康直の通達によると、沖の島及ぴ鵜来島は、愛媛県第14大区第6小区となっている。同年7月7日沖の島・鵜来島・姫島を高知県に移す指令を受け8月30日に土地人民を高知県に移した。


とゆう資料がありました


知ってた方いますか?


船長も昔聞いたことはありましたがこんなに詳しくは知りませんでした






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