【映画】福田村事件~震災の教訓を活かすということ | 鶏のブログ

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【監督】森達也

【製作国】日本

【上映時間】137分

【出演】井浦新 (澤田智一)

    田中麗奈(澤田静子)

    永山瑛太(沼部新助)

    水道橋博士(長谷川秀吉)

【公式サイト】

 

ちょうど100年前の1923年9月1日に発生した関東大震災。10万人余りの死者・行方不明者を出した大災害でしたが、同時に地震直後の混乱期に生じた流言飛語に端を発して、朝鮮半島出身者(1910年に日韓併合が行われており、この当時朝鮮半島は日本の領土なので、彼らも国籍は日本人ですね)や中国人が虐殺され、また内地出身の日本人でも大杉栄や伊藤野枝などの社会主義者がこの機に乗じて粛清されたり、聴覚がなく言葉が喋れない聾啞者も殺されてしまうという被害に遭うこともあったそうです。

そして本作で取り上げられた福田村事件では、香川県出身の行商人の一行が、現在の千葉県野田市にあった福田村で、そもそも行商人に警戒しろという俗説があったことが土台にあり、さらには震災直後の流言飛語により、しゃべっている讃岐弁が分からないので朝鮮半島出身者ではないかと疑われて殺されるという、実に惨たらしい事案も発生。本作のパンフレットによれば、地震そのものや火災による死者以外に、出身や属性、思想を理由に殺された人たちが6千人以上もいたというのだから、驚くほかありません。

 

本作は、上記の史実をベースに物語仕立てにしたものでしたが、テーマの重要性やその記録・記憶としての意義のみならず、ドラマとしての面白さ、俳優陣の演技、大正当時を再現した風景など、ひとつの映画として全般的に非常に優れているように感じました。

ドラマという部分で注目すべきは、エンドロールやパンフレットの並びで本作の主役に位置付けられた澤田夫妻(井浦新と田中麗奈)の存在でした。夫の智一は、福田村出身だったものの、教師として京城(現在のソウル)に渡っていました。それが震災の直前に妻とともに故郷に戻り百姓をしていました。震災後、沼部新助(永山瑛太)が率いる行商人の一行が福田村を通り、そこで朝鮮人ではないかと疑われて結果的に村の自警団などが沼部たちを襲うに至った時も、沢田夫妻は第三者的な立場の者として仲裁に入ります。

テーマ的には、加害者側であった在郷軍人会のリーダーである長谷川(水道橋博士)か、被害者側であった沼部が主役だと言えるお話です。それを敢えて第三者である澤田夫妻を主役に据えたのは何故なのか?思うに彼らは、加害者と被害者のいずれにも属さないという意味で現代で本作を観ている観客と同じ立ち位置にいる存在であり、つまりは現代に生きる我々の分身だったと言えるように思えます。つまり、主役は我々ということなのです。

 

そして1919年に朝鮮半島で勃発した三・一独立運動の際に発生した提岩里教会事件(暴動を扇動した首謀者29名が、日本の憲兵に提岩里の教会に監禁され、放火により殺された事件)に居合わせながらも傍観するしかなかった澤田智一が、福田村での虐殺に際しては、傍観することなく、冷静さを失って行商人たちを襲おうとしている村人を止めようとします。その努力は虚しく、15人いた行商人のうち9人(胎児を含めると10人)の命が失われてしまう訳ですが、この現代人の分身たる澤田の行動こそが、本作が最も観客に伝えたかったことではないかと感じたところです。

 

また同時に、澤田や福田村の村長らが、「彼らは朝鮮人ではない」と言って沼部たちを襲おうとしている村人たちの説得を試みますが、それに対して沼部が「(朝)鮮人なら殺していいんか?」と言うシーンもとても印象に残りました。被差別部落出身であった沼部ら行商人の一行でしたが、沼部は朝鮮半島出身者に対しても融和的であるところが描かれる一方、一行の中には自分たち被差別部落出身者よりも朝鮮半島出身者は下であると言う者もいることが描かれていました。この辺りの描写は実にリアルで、この世から差別がなくならない構造的、心理的な状況を表現していましたが、「〇〇だから殺していい」、「排除していい」、「差別していい」という話には1ミリの正当性もありません。そのことを一言で鮮烈に表現したこのセリフは、本作最大の見せ場であったと思います。

 

さて、関東大震災の教訓を如何に現代に活かすべきかという話になりますが、毎年1月17日や3月11日、そして9月1日になると、「防災」が語られます。関東大震災を例にとれば、10万人以上の人が震災そのものにより亡くなった訳で、これを如何に減らすかということは、まず第一に考えるべきところでしょう。

一方で、前述の通り直接震災で被害に遭ったわけではないのに、朝鮮半島出身者を中心に6千人以上の人が亡くなりました。主に流言飛語がその原因になった訳ですが、こうしたことを防ぐには、過去に福田村事件のようなことが起きてしまったことを語り継ぎ、それを戒めとすることで、こうした悲劇を繰り返さないようにするしかないのではと思います。そうした観点からすると、松野官房長官が「関東大震災における朝鮮人虐殺の記録がない」とコメントしたり、関東大震災の朝鮮人被害者の慰霊祭に追悼文を送らない小池都知事の言動は、過去の震災を教訓に未来の防災を確立するという考えの対極にあるもので、実に嘆かわしいと思わざるをえません。(あの石原慎太郎氏ですら、都知事時代に追悼文を送っていたそうです。)

 

そんな訳で、テーマ性から物語性、俳優陣の奮闘に至るまで、実に見事な作品だったので、評価は★5とします。

 

総合評価:★★★★★

詳細評価:

物語:★★★★★
配役:★★★★★
演出:★★★★★
映像:★★★★★
音楽:★★★

 

【参考記事】

 

 

 

内閣府が主催する中央防災会議の「災害教訓の継承に関する専門調査会報告書」の「1923関東大震災【第2編】」(平成21年3月)では、なんと朝鮮人虐殺をはじめとする震災直後の混乱期に発生した殺傷事件について章を割いて解説しています。

 

まずは当該報告書から、震災直後の分析を一部抜粋します。

 

「朝鮮人の迫害は、同時代には誰の目にも明らかであった。初期には流言も交えた様々な新聞報道がなされ、流言の根拠がないことがわかった後の回想や評論では、誤解による悲惨な事件として回顧される。」

 

とした上で、2,600人から6,600人程度の犠牲者が出たとしています。

 

また戦後に行われた分析も記載されています。

 

「朝鮮人殺傷事件に関して、日本人研究者による戦後の本格的な研究は、『歴史評論』1958年11月号掲載の斉藤秀夫「関東大震災と朝鮮人騒ぎ」が最初で、ここでは警察による治安維持のための朝鮮人検束が流言のきっかけとなり、それが多くの殺傷事件を引き起こしたと論じた。」

「1963(昭和38)年8月に刊行された朝鮮大学校『関東大震災における朝鮮人虐殺の真相と実態』は、被害者からの聞き取りと官庁公文書を含む初めての本格的な史料集であり、その解説として階級闘争を激化させる社会主義者及び民族解放闘争を昂揚させる朝鮮人への弾圧の機会を狙っていた日本の支配階級が、朝鮮人「暴動」の流言を捏造して宣伝し、それを根拠に戒厳令を敷き、軍隊、警察とその司令下の自警団によって社会主義者と大量の朝鮮人を虐殺したと論じた。」

 

本作の中でも、社会主義者が警察に引っ張られ、何の裁判も経ずに直ぐに殺される場面が出て来ましたし、労働運動が弾圧を受けたシーンもありましたが、元は内閣府の報告書にも記載されたことだったことが確認できます。

というか、内閣府主催の中央防災会議でこうした報告書が出ているのに、「記録がない」という政府の態度には呆れるばかり。政府見解的には、「あれは学者の見解で政府の見解ではない」ということらしいですが、殆ど「募ってはいるが募集はしていない」という論理と同じで、無茶苦茶です。

 

さらにこの報告書は、こうした流言による殺傷事件を踏まえての教訓についても書いています。

 

「軍隊や警察、新聞も一時は流言の伝達に寄与し、混乱を増幅した。軍、官は事態の把握後に流言取締りに転じた。」

 

本作でも警察官が一般人を装って流言を触れ回るシーンがありましたが、その手法はともかく、そうした事実は現に存在したことが内閣府の報告書でも裏付けられているということです。

 

「空き巣や略奪といった犯罪の抑止のためには軍隊、警察、民間の警備は有効ではあったが、流言と結びついたため、かえって人命の損失を招いた。」

「過去の反省と民族差別の解消の努力が必要なのは改めて確認しておく。その上で、流言の発生、そして自然災害とテロの混同が現在も生じ得る事態であることを認識する必要がある。不意の爆発や異臭など災害時に起こり得ることの正確な理解に努め、また、テロの現場で犯人を捕捉することの困難や個人的報復の禁止といった常識を大切にして冷静な犯罪抑止活動に努めるべきである。」

 

なんか凄くまともなことを言ってるので、驚いてしまいます。

因みにこの報告書が出されたのが平成21(2009)年3月。この年の8月に民主党政権が誕生しましたが、報告書が出たのは3月なので、自公政権時代(麻生内閣)でした。この当時はまだまともな面もあったんだなと、しみじみ感じた次第です。