鶏のブログ

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観た映画、読んだ本などについてのメモです。
”ネタバレ”を含みがちなので、その点ご容赦下さいませ。

【監督】アンセルム・チャン

【原題】破.地獄 The Last Dance

【制作国】香港

【上映時間】140分

【配給】ツイン

【出演】ダヨ・ウォン(トウサン)

    マイケル・ホイ(マン師匠)

    ミシェル・ワイ(マンユッ)

    ハチュー・パクホン(パン)

【公式サイト】

2月に公開された「ほどなく、お別れですと同様に、新たに葬儀屋となった主人公の成長を描いた作品でした。「ほどなく、お別れです」は、主人公に亡くなった直後の死者の幽霊が見えるという特殊能力があることが特徴で、葬儀屋を題材にしたお仕事映画であると同時に、ファンタジー要素も併せ持つ作品でした。一方、本作は葬儀屋の経営面にスポットを当て、金銭の問題や、葬儀屋特有の死者の魂の救済、さらには遺族の心情をどのように救うかという点をテーマにしており、非常にリアリティのある物語となっていました。

 

いずれにしても、人が亡くなって初めて仕事が始まるのが葬儀屋という職業ですので、涙なくしては語れないストーリーかと思いきや、喪主である夫が悲しむどころか激怒している葬儀があったり、自動車事故で亡くなったにもかかわらず、主人公のトウサン(ダヨ・ウォン)が車の模型を作って葬儀会場に乗り入れてしまうという失敗をしてしまったりと、必ずしもウェットな方向だけで描かれていなかった点が実に新鮮でした。同時に、それが葬儀の実相を的確に捉えているようにも感じられました。また、トウサンの仕事のパートナーであり道教の道士でもあるマン師匠(マイケル・ホイ)と、その娘マンユッ(ミシェル・ワイ)との間で描かれる、道教における男尊女卑をテーマにした葛藤も見どころでした。

 

一方で、本作の題名にもなっている「ラストダンス」、すなわち「破地獄」という風習も、本作で初めて知りました。これは香港独特の葬儀の風習だそうで、火を使った踊りによって地獄の扉を破り、死者を天国へ導くというものです。非常に神秘的で、葬儀にふさわしい儀式だと感じました。ただ、少し残念だったのは、この神秘的な踊りのシーンが思っていたよりも少なく、もう少し「あの世」と「この世」の境界を感じさせる演出があってもよかったのではないかと思いました。

 

ストーリー全体としては、マン師匠とマンユッ、さらにマン師匠の長男パン(ハチュー・パクホン)一家の軋轢を主題に据えながらも、トウサンと恋人との関係性にも踏み込んでおり、やや間口を広げすぎた印象もありました。コロナ禍を機に結婚式のコーディネーターから葬儀屋へ転身したトウサンは主人公でありながら、プライベートの描写がマン師匠一家ほど多くはありません。そのため、恋人との関係性が物語の本筋とどのように結びついているのかがやや見えにくく、その点は少し惜しく感じました。

 

そんな訳で、本作の評価は★3.8とします。
 
総合評価:★★★★

 

詳細評価:

物語:★★★
配役:★★★★★
演出:★★★
映像:★★★★
音楽:★★★★

【監督・脚本】ジャファル・パナヒ

【原題】Un simple accident

【制作国】フランス・イラン・ルクセンブルク合作

【上映時間】103分

【配給】セテラ・インターナショナル

【出演】ワヒド・モバシェリ(ワヒド)

    マルヤム・アフシャリ(シヴァ)

    エブラヒム・アジジ(エグバル)

    ハディス・パクバテン(ゴルロク(ゴリ))

【公式サイト】

熊は、いない」以来3年ぶりに公開されたイランの巨匠ジャファル・パナヒ監督作品にして、昨年のカンヌ国際映画祭でパルムドールの栄冠に輝いた本作が公開されたので早速観に行って来ました。
 
第一印象として、本作のポイントは2つあるように感じました。
1つ目は、本作はアメリカとイスラエルによる国際法違反のイラン侵攻前の同国を舞台にしたお話であり、サスペンス要素満載でありながらも、イラン政府の秘密警察による極めて非人道的な人民への弾圧を、登場人物たちのセリフを通じて間接的にではあるけれども、観客の眼前に提示している作品だったということです。気に入らない奴を片っ端からぶっ殺すというような単純な方法ではなく、何やかやと因縁をつけて逮捕し、目隠しをした上で尋問したり、ロープを首に掛けて絞首刑の寸前の状態にしたりして、政権に批判的な人達の精神をぶっ殺す手法は、想像するだに怖ろしい話でした。実際パナヒ監督自身が何度も当局に拘束された経験があるだけに、リアリティが半端ありませんでした。
2つ目は、映画そのものの内容ではありませんが、こんな非人道的なイラン政府ではありながらも、アメリカやイスラエルが攻撃して良い訳ではないということ。「これはこれ、それはそれ」です。開戦当時トランプ大統領は、「イラン国民に自由をもたらす」という話をしていましたが、蓋を開けてみれば女子小学校を爆撃して100名以上の小学生が亡くなったと報じられ、4月初旬の段階で2千人を超えるイラン国民が亡くなったと伝えられています。まあトランプ大統領やネタニヤフ首相の本音としては、国内で抱える自身の疑惑から他に眼を向けさせることが目的であるとともに、石油の利権を強奪しようという目的も明白であるため、 たとえイラン政府が非人道的であっても、他国の軍事的な介入を容認する理由にはなり得ないと改めて感じました。
 
作品からだいぶん話が逸れてしまったので本論に戻ると、本作は、主人公のワヒド(ワヒド・モバシェリ)が”偶然”見かけた義足の男(エブラヒム・アジジ)が、かつて自分が逮捕された際に取り調べを行った取調官エグバルではないかと思いこみ、誘拐して復讐しようとするお話でした。ただ取り調べられた時は目隠しをされていたため、相手の顔は分からない。男のIDカードの名前も、エグバルではない。ただ義足を付けていると言うだけが両者の共通点である。そんな状況下で、同じく逮捕歴があるシヴァ(マルヤム・アフシャリ)やゴリ(ハディス・パクバテン)らを集めて男の同定をするワヒド。目隠しをして弄る手法は秘密警察そのものという自己矛盾を抱えながら逡巡する姿に人間らしさを感じてしまいました。さらに男の携帯に掛かって来た電話に出ると、男の娘からのものであり、「母親が倒れているので帰って来て」と言われ、自宅に向かってしまうワヒド。その結果母親は出産直前の状態であり、結果病院に運んで第2子となる男児を出産。仇敵かも知れない男の手助けをしてしまうところが実に面白い展開でした。
 
観客の誰もが男はエグバルではなく、ワヒドが人違いで拉致してしまったものだと思っていたところ、最終的に男はエグバルであることを自白したところもビックリ仰天でした。ワヒドは、自分も被害者であったと宣うエグバルを結局殺さずに日常生活に戻るところも実に人間らしく、さらにラストでワヒドの下に義足の足音が迫って来たところも実に印象深い終わり方でした。
一度は生き埋めにしようとしたにも関わらず、最終的に仇敵の生存を許したワヒドの心情を忖度しながら、劇場を後にしました。
 
果たしてパナヒ監督の次回作がどんな作品になるのか、今から楽しみです。
 
そんな訳で、本作の評価は★4.4とします。
 
総合評価:★★★★☆

 

詳細評価:

物語:★★★★★
配役:★★★★★
演出:★★★★
映像:★★★★
音楽:★★★★

【監督】ジョン・ヒューストン

【原作】アラン・ルメイ

【原題】The Unforgiven

【制作年】1960年

【制作国】アメリカ

【上映時間】98分

【出演】バート・ランカスター(ベン・ザカリー)

    オードリー・ヘプバーン(レイチェル)

    チャールズ・ビックフォード(ゼブ・ローリンズ)

    ジョセフ・ワイズマン(エイブ・ケルシー)

【公式サイト】

「午前十時の映画祭16」の第3弾は、「許されざる者」でした。オードリー・ヘプバーンが唯一出演した西部劇ということで鑑賞しましたが、物語は主人公ベン(バート・ランカスター)が率いるザカリー家、ザカリー家のパートナーであり後に対立するローリンズ家、そしてインディアンのカイオワ族による三つ巴の構図を軸に展開していきました(現在では「ネイティブアメリカン」という表記が一般的ですが、本作内で「インディアン」という言葉が使用されていたため、本文中でもこの表記を用います)。

 

ヘプバーン演じるレイチェルは、表向きにはベンの妹として育てられていましたが、実はベンの父がかつてカイオワ族との抗争の最中に連れ帰ったカイオワ族の子供だったことが判明します。その事実が明るみになったことをきっかけにザカリー家とローリンズ家の同盟関係は崩壊し、さらにレイチェルを取り戻そうとする実兄を含むカイオワ族の一群がザカリー家を襲撃するなど、後半はほとんど戦闘シーンの連続となっていました。

 

ひと口で西部劇と言っても、白人同士の抗争を描いた作品もありますが、本作は白人とインディアンの対立を真正面から扱った、極めて典型的な西部劇でした。前述の通り、現在では「インディアン」という呼称自体が避けられ、「ネイティブアメリカン」という表現が公式に用いられるようになっています。それだけに、白人とインディアンの抗争についても、現代の価値観や倫理観から見れば、白人側の不道徳や暴力の上に成り立っていたものであることは明白です。そのため、劇中で白人側がどのような目に遭っても、正直なところあまり同情する気にはなれませんでした。

 

ただ、本作の興味深い点は、白人として育てられたレイチェルが、実はインディアンの血を引いていたという設定にあります。このアンビバレントな立場をさらに掘り下げていけば、非常に繊細なヒューマンドラマにもなり得たと思うのですが、本作はむしろレイチェルを含むザカリー家の家族愛と団結に重点を置いており、カイオワ族はどちらかと言えば道化的な役回りに留まっていました。そのため、現代的な視点から見ると、あまり感心できない方向へ進んでしまった印象も受けました。

 

本作が制作されたのは1960年であり、連邦議会で公民権法が成立し、長年続いた“法的な”人種差別が撤廃される1964年まで、まだ4年を残していた時代です。そのことを考えると、ヘプバーン演じるレイチェルをカイオワ族の子として描くこと自体が、当時としては精一杯の表現だったのかもしれません。

いずれにしても、レイチェルがカイオワ族の実兄を殺してしまうという悲劇的な結末は、何ともほろ苦く、後味の悪い終わり方でした。

 

肝心のヘプバーンですが、本作の直前は「尼僧物語」に、そして本作の直後に「ティファニーで朝食を」に出演していた絶頂の時期にあっただけあり、実に美しく、その点では観に行って満足でした。ただ後にも先にも西部劇出演が本作だけだったというのは、やはり自他ともに思うところがあったということなのではないでしょうかねえ。

 

そんな訳で、本作の評価は★3.4とします。
 
総合評価:★★★☆

 

詳細評価:

物語:★★
配役:★★★★★
演出:★★★
映像:★★★★
音楽:★★★