その前のクリスマスと言えば、イエス・キリストのお誕生日を祝うお祭りでございますが、実際のところ、イエス様のお誕生日は、歴史的事実としては確定しておりません。
と申しますのも、イエス様の言行録である新約聖書の中には、イエス様が「何年の何月何日に生まれた」という記述はないからです。
そしてどうやら、伝道先のドイツ地方、ゲルマンの森の冬至の祭りを、「イエスキリストの誕生日」としたのが、12月25日のいわれだとか。
それでクリスマスと言えば、もみの木をコーディネートしたものが飾られるわけですね。
イエス様の生まれた現在のイスラエルには、針葉樹林であるもみの木は生えていないし、積もるほどの雪も降らないですので、実際はかなり違和感のある飾りだと・・・・。
こういうと、ロマンがなくなるかもですが。(笑)
しかし、頑ななイメージのあるキリスト教ですが、布教の際には、このようなマーケティング&イノベーションの歴史があったんですね。
伝道マーケティングと言えば聞こえは悪いですが、仏教などは元来、先祖供養の思想はなかったようです。
それが親孝行を尊ぶ中国での布教のために、お盆の思想を創出したということらしい。
ちなみに、イエス様の言行録にも、先祖が云々というお言葉はありません。
しかしニーズがあるということだし、元来、「霊的な人生観」つまり、「死んだらあの世に行く」という確固たる信仰心がなければ、先祖を供養し、感謝しようとは思えないので、日本らの東アジア地域など、先祖供養を大事にする地域は、宗教的な素地が、もともと高いのかも知れませんね。
仏教やキリスト教などが、伝道に際して、単に教えを押し付けていたのではなく、理解されようと努力してきた歴史には、感銘を受けるとともに、これからの伝道の在り方にも一考かと。
クリスマスがキリスト教最大のお祭りですが、お正月と言えば、日本神道最大のお祭りです。
今の日本はこの時期に、国内外の2大祭典が重なるのだけれど、やはり、昼間の短い時期というのが共通項でしょうか。
ヨーロッパのような高緯度地域だと、冬場はほとんど夜ですので、冬至の頃などは、絶望的な気分になろうかと。
だとすれば、「これから、日が長くなっていく」というのは、希望そのものであるし、感謝の気持ちになるのかなと思います。
お祭りと言えば、神仏への感謝というのが背景に必ずあって、その感謝を式典などの形式をとって表現しているわけですけど、日本ほど、「お祭り」の多い国はおそらくないと思います。
それはつまりは、「神様として、感謝の対象として認識している」ということです。そうでないと、お祭りはできません。
つまり、「世界一お祭り好きの民族」と思われているかも知れない日本人ですが、それはとりもなおさず、「宗教的に、これほど寛容な民族はない」ということでもあるわけです。
これは、日本人が宗教的にチャランポランだからではなく、きちんとした歴史的経緯があります。
初代神武天皇の「八紘一宇」つまり、「すべての民族は、同じ屋根の下で仲良く暮らそう」という思想だけでなく、1500年ほど前の聖徳太子の時代には、神道と仏教勢力とで宗教戦争を経験し、その後十七条憲法制定や、日本神道の最高神官、天皇の仏教帰依などで、奈良時代には完璧な宗教融和を成し遂げたのが日本です。
欧米社会の信教の自由は近代になってからですが、日本は聖徳太子の時代以降、江戸時代のキリスト教禁教までは、信教の自由社会だったのです。
だから日本人には、「宗教の違いで、殺しあう程の憎しみを理解できない」のです。つまり、「宗教が違うからと言って、神仏が、人々が殺しあうことを望んでいるとは、どうしても思えない」のですね。
日本人にはね。
これは日本人にとっては当たり前なのですが、しかし、近未来の世界の常識は、日本と同じであるべきだと私は思うのです。
であれば宗教戦争など、起こしたくても起こせないからです。
つまりこれからは、日本の常識が、世界の希望の光になると思うんですね。
そのためには、日本人は宗教への理解を深め、自国の歴史への強い誇りを取り戻すべきだとも思うんです。
ですから多くの方に、幸福の科学を知って欲しいのです。
それは日本人の心の奥に抱かれている希望の常識に、強い理論的根拠を与えるからです。
それでは、今年もよろしくアミ~ゴです。