平等院鳳凰堂
先月の19日(月)の夜のNHK特集で、「健康格差問題」を取り上げておりました。
「年収が200万円以下とか、非正規雇用の方には、糖尿病などの既往が多く、低所得者の健康を、社会問題ととらえるか否か」がテーマでした。
一昔前だと、糖尿病は富裕層の病というイメージでしたが、現代では低所得者ほど、炭水化物摂取量が多く、かえって糖尿病になりやすいのは事実です。
それは国際的にも同様で会って、日本は諸外国から比べると、糖尿病罹患率が低い国でもあります。
確かに、低所得者の健康問題は、由々しき問題であります。
私はこれを、社会問題化することに、個人的には異存ございません。
しかしながら、その問題解決を、ただ単に所得の格差是正、つまり、高所得者の税率を上げたり、相続税を高くしたりして、低所得者に分配することには反対です。
なぜならば、それでは結果的に、貧乏の平等社会ができてしまうだけだからです。
「所得格差がなくなれば、みんなで豊かに暮らせる」というのは、はっきり申し上げて、幻想でしかありません。
格差をなくすには、すべての人民が貧乏にならなければ無理だからです。
別の言い方をすれば、格差是正が行き過ぎた社会は、絶対に金持ちになれない社会なのです。
そして、取った税金を分配する為政者に権限が集中し、必ず特権階級が生まれ、この一部のエリートたちが、国家の富を独占する社会になります。
旧ソ連や北朝鮮、中華人民共和国など、社会主義国や共産主義国でよく見られる構造です。
そして国外逃亡する富すらなくなった国民は、スローガンとは裏腹の社会の中で、自由と才能の発露を失った人生を歩むようになります。
しかし現代において、マルキシズムの亡霊・・・いや、理論的復活とも言える経済学者が、世界的に注目されています。
トマ・ピケティー博士です。
著書『21世紀の資本』で、格差是正こそが正義と述べています。
難しくて、立ち読みくらいではよくわからないのですが、要するに、「人類の富の創造は、絶対に人口の増加に追い付かない」と言うものだと思います。
だからまぁ、人類が幸福に生きていくには、富を分配するしかないと・・・。
しかしそれはやはり、論が強引だと思うし、ピケティー博士、案外視野がお狭いのではないかと思う。
歴史的経緯とか、様々な地域の経済とか、あまり考察に入っていないのではないかと疑ってしまうのですね。
そしてやはり、マルクス経済学の欠点と同様、「富が増えない」という前提が強過ぎるのではないかとも。
マルクス経済と言うのは、無神論経済学ですけど、富が増えないという前提なので、全員でパイの取り合いですから、最終的には、非人間的な弱肉強食になります。
事実2000年前とか3000年前とか、人類の総人口は数億だったはずですが、今は70億人以上となっています。
それは純粋に、富が増えた・・・ということです。
富の総量が増えない限り、莫大な人口の増加はありえません。
つまり、それだけ多くの人々が、現実に食っていっているわけです。
ピケティー博士は、この現実をどう見ているのでしょうか?
極めて単純な事実です。
富は増やせますし、現実に増えています。
しかも人口の増加を見る限り、膨大な富が増えています。
また近い歴史で言うならば、戦後の日本は、極めて短時間で発展し、日本は豊かになりましたけど、日本が豊かになったことで、どこかの国が破産したりしたんでしょうか?
日本が繁栄したことで、どこにも迷惑は掛かっていないと思います。
これも、戦後日本が、純粋に、富を創造したと考えるのが正しい見方だと思います。
ピケティー博士、さて、それらは論の考察に入っているのでしょうか?
ともあれ、みんなが平等に貧乏で、豊かになる自由のないな平等社会より、豊かな人が、たくさん輩出される社会がいい。
なぜなら、たとえ一時期貧しい環境であっても、皆が平等に、頑張れば金持ちになれるからです。
才能や技能や、努力や人と人とのつながりによって、未来を切り開いて行けるからです。
結果の平等は、必ず貧乏と不自由を創出します。
結果の平等より、機会の平等です。
機会の完全なる平等の保証こそ、自由からの繁栄が可能なのです。
富は、いくらでも創造できます。
神の創られた大宇宙は、富で溢れているからです。
「神」は、豊かなのです。
世界の人工が、70億人を超えてもなお、地上の人たちが、現に生きていける事実こそ、この真理の証明です。
本日は、幸福の科学の大川隆法総裁最新刊『現代の貧困をどう解決すべきか トマ・ピケティの守護霊を直撃する』 (幸福の科学出版)のあとがきをご紹介します。
それでは、またのお越しを。
https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=1704
経営者として成功したことのない人の経済理論は、あまり信用しないほうがよい。資料や数値を多用して、一定のドグマを押しつけようとする学者の見解には用心したほうがよかろう。
今回の霊言によって、ピケティ教授が、二〇〇八年のリーマンショック(大不況)によってもとどめを刺せなかった資本主義に、引導を渡そうとしているのがよくわかる。
本書のもう一つの特色は、宗教思想と経済思想の近接性である。この裏側のカラクリが、ここまで見事に説き明かされたことはなかったのではないか。この点、非常に勉強になる。
本書をもって、二〇一〇年二月以降再開した公開霊言シリーズの発刊点数(書店売り)が、四百書となる。道のりは、まだまだ遠いが、新しいジャンルを開拓してきた者として、かすかな喜びを感じている。