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Liberty webで、興味深い映画の情報がありました。

http://the-liberty.com/article.php?item_id=11776


日本人の映画監督が、転生輪廻をテーマに、人種差別問題に一石を投じたと。


以前、アメリカのテレビドラマで、未解決事件を取り扱った作品「コールドケース」を見ていたのですが、私が幼少のみぎり、1970年代くらいまでは、アメリカにおいてはまだ、えげつない人種差別が横行していたようでございます。


リンカーン大統領が、黒人奴隷解放を掲げて、南北戦争をしたのは、日本で言えば、幕末から明治維新の頃


しかし奴隷という立場から解放されたは良いが、現実問題として、黒人が公民権を獲得するまでには、マルチン・ルーサー・キング牧師らが活躍した、ベトナム戦争頃までかかっていたのですから、かの国の人種問題は歴史的に根が深いです。 


通常奴隷制とは言っても、単に身分制度であって、つまりは、何らかの事情によって、タダ働きをさせられているのが、歴史上の奴隷なんです。

ですから、古代ローマなどの多くの奴隷は、解放される道があったんです。


しかし、アメリカ合衆国の黒人奴隷への考え方は、「黒人、人に非ず」なんです。

つまり、黒人を人類と認めてはいなくて、家畜と考えていたということです。

そういう根源的な人間観、人種思想が根本にあるもんだから、ちょっとタチが悪いのは悪い。




ともあれ、つい近年になって、南アフリカにおいて、黒人大統領ネルソン・マンデラ氏が就任し、世界で合法的な人種差別は消えましたが、まだまだ、心の中から消えるのはいつか。


未だニュース等で聞かれる、アメリカの人種間の憎しみを思うと、人類に課せられた宿題の重さに、打ちひしがれる思いがいたします。

かつて、第2次世界大戦前においては、世界で黄色人種の独立国家は、事実上タイと日本だけでした。


その他は、軒並み、白人国家の植民地であったわけで、人口で言えば圧倒的少数派の白人が、人口が桁違いの黄色人種や黒人を支配するには、人種差別政策しかあり得なかったわけで、第2次世界大戦以前の世界は、人種差別が当たり前でなければ収まりがつかない世界であったわけです。


そして日本は、第1次世界大戦後のパリ講和会議において、「今後国連は、世界から人種差別をなくしていこう」と提案したのですが、結局これが、その後日本が世界から孤立化した所以でありました。


まぁそうでありましょうね。人種差別をしないとなれば、植民地経営はできず、白人国家は膨大な資産失うことになりますからね。


「そんな無茶なことを言うから、世界から孤立するんじゃ!」という方もいるでしょうけど、「やむにやまれぬ大和魂」です。


「人種差別をされているのを、見て見ぬ振りをするのが正しいのか」という、神のお心を忖度したものであろうし、それは、初代神武天皇以降、日本の国是でもありましたので。


だから旧日本軍は、中国大陸を始め、進駐した先でとても評判が良いし、戦った連合軍たちも、少しは人としての心を取り戻したと思う。

日本の歴史は、「戦った相手と、戦後仲良くなる」というあり得ない歴史であるが、それは、殺戮を好まず、武士道で戦ったからだと思う。


武士道とは、「いかに死ぬべきか」ですが、侵略という、国家による略奪行為によって、武士は命は賭けられないと思う。


人種差別万歳だったアメリカが、その後、曲がりなりにも世界の警察ができるようになったのは、日本と戦ったことで、ほんの少し、成長したのだとしたら。


アメリカ初の黒人大統領バラク・オバマ氏には、日本にきちんと御礼をしてもらわねばならないですね。

日本なくば、黒人は未だ、アメリカ国内においては、人間扱いされていなかったはずだからです。


  


ともあれ、歴史だけを見ていたら、人種の壁を乗り越えるのは難しいですが、魂の真実を知るとどうなるか。

今は白人として生まれている人も、かつては黒人だったかも知れません。


今は戦っている国家が、かつて前世においては、母国だったかも知れません。


そうなったとき、「民族差別は、正しいのか」「宗教による、憎しみは正しいのか」です。

全く無意味なはずなんですね。


憎しみや戦いは、ただ自らを正当化し、ただ自らが生きやすくするためのものでしかなく、神さまの目から見たときの正当性というのは、全くありはしないのです。

そこにあるのは、ただ醜いだけの人間がいるだけなのです。


またキリスト教においては、転生輪廻はタブーのようです。

中世なら、魔女狩りに逢うやも知れません。


しかし、幸福の科学の霊査によれば、福音書とて、当初はイエス・キリストの幼少の頃からのことや、転生輪廻のことも描かれていたとか。


福音を述べ始める前のイエスは、あまりにも普通の人であったために、「救世主らしくない」ということで削られ、また転生輪廻のことも、当時のエジプト文化圏では、ごくごく当たり前な思想だったので削られたとか。


人間の業の深さを感じざるを得ない歴史ではありますが、真実は真実、事実は事実です。

東北大の飯田史彦先生も、催眠療法の分野から、転生輪廻が証明なさろうとしています。


 

https://www.amazon.co.jp/ 生きがいの創造―“生まれ変わりの科学”が人生を変える-PHP文庫-飯田-史彦/dp/4569573142


全ての方々が真実に目覚め、共に神に創られし神の子として、愛によって憎しみを超えられる日がくることを、心より祈念します。


それでは、またのお越しを。