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昨日8月15日は、終戦の日です。

しかしこれは、日本にとっての終戦の日です。


通常、世界的歴史の観点から言えば、大日本帝国政府が公式にポツダム宣言による降伏文書に調印した1945年9月2日が終戦の日なのですね。


この日本と世界の月日のずれが示すものは、日本が実際に、天皇陛下の号令の下、8月15日に先頭をやめ、日本に引き返してきたからなのです。


これが意味するものは、今日では、野蛮な侵略者たちのレッテルを貼られている旧日本軍が、厳然たる秩序を有していたという、確固たる実例なのです。


現代日本は、本当の意味において、歴史を真摯に反省するべきだと思います。


でなければ、あれだけの犠牲者を出し、国体解体一歩手前までいった、苦難の歴史が、教訓として生かされないからです。


今回の記事でご紹介する画像は、どれも中国の南京市内における、旧日本軍と南京市民とを撮影したもので、Yahoo画像検索からお借りしました。


どれも共通するものは、日本軍と市民とが、とても友好的なのに驚かされます。


子供たちが、怯えている様子が一切ありません。


漫画、はだしのゲンで出てくるような、残虐極まりない日本軍ならば、これほどまでにリラックスした、一般人や子供たちの画像になるはずがありません。



私の私見解ですが、日本は侵略国家ではなかったと考えています。

と申しますのも、日本は近代の戦争において、自国より弱い国家と戦った歴史がないからです。


侵略とは、国家による他国の略奪行為ですから、侵略ならば当然のごとく、自国より弱い相手と対峙します。

そして相手が強ければ、弱いところを突き、弱くしてから攻め入るのが侵略行為でございます。


清・ロシア・中華民国・アメリカ+連合軍、日本と戦った国々は、どれも当時の超一等国ばかりですし、そのすべてが、一機打ちに近いものです。


自国より強い相手と対峙する理由はただひとつです。

それは、「国防」という観点のみであります。


どのようないきさつであれ、日本が戦争行為にいたったのは、「国防」という観点であったはずであり、現代日本は、この部分をきちんと精査しなければ、再び苦難の歴史を経験しても致し方ないと危惧します。



そして更に、日本軍は残虐な人たちではなかったと思っております。

と申しますのも、日本は戦った相手国と、戦争終了後、仲が良くなる歴史を有するからです。


薩英戦争後の日英同盟、日清戦争後の満州国設立、日露戦争後の親日ロシア、日中戦争後の台湾の親日化、日米戦争後の日米同盟などなどです。


曲がりなりにも、殺しあうほど憎しみ会う間柄ながら、戦闘終了後、相手のために血を流す同盟をも結ぶ中になる。


これはあり得ない歴史なのですね。おそらく、日本だけがそういった歴史を経験しているはずです。


これは、憎しみを超えた原理が働いていなければ、絶対にそうはならないのです。


憎しみを超えた原理とは何か。

それは、「尊崇の原理」ではないでしょうか?


つまり、戦っている相手国は、日本軍を、「信用できる人たちだ」と認識していたはずです。


でなければ、戦った相手国とすぐ同盟関係にはなれないです。



そして最後に、きちんと反省をしなければ、現代にその智恵を活用できないです。


戦時中政治は、危機回避政治を行う名目で与党野党が大連合化し、大政翼賛会という独裁制を敷きました。


そしてそれを、当時のマスメディアも支持し、一切の反論記事を書きませんでした。


事実上、日本に言論の自由はなかったわけです。


そして、大本営発表のもと、現実とは違う戦況報告が、日本の情報界を支配し、国民は情報判断ができなかったわけです。


いわゆる、国家社会主義体制です。


さあ、ひるがえって見たとき、現在の日本はどうなのでしょうか?


国防やその他の項目については、さまざまな意見が出、さまざまな議論がなされているように見えます。


ですがどうでしょうか。

税金に関しては・・・。


東日本大震災直後に、震災復興税なるものが出ましたが、通常、あれだけの大災害時に増税をするのは禁じ手です。


それを、当時の与党民主党、野党の自民党と公明党が共同で採択し、それをマスメディアは批判しませんでした。


そして、8%消費増税、そして今後予想される10%消費税に関しても、与野党合意でマスメディアも支持しています。


これは現在の日本が、「増税による大政翼賛会化した国家」になっているとういうことです。



ともあれ、因果の理法、原因と結果の連鎖に基づく、きちんとした反省が、現代の日本に強く求められていると思うのです。


それは浅薄な、「歴史修正主義」と言う様なものではなく、苦難の歴史を繰り返さず、恒久平和構築のためには、どうしてもどうしても必要なことだと思うのです。


それでは、またのお越しを。