ひきこもりでございます。
私はアモ~レの魂の兄弟であり、その霊的な主な仕事は、アモ~レの宗教面への影響、そして歴史への見識への指導であろうかと思います。
私の霊的な仕事の大半は、神の歴史の観察です。
歴史における神の業は、ある一定の法則とでも申しましょうか。
一言で言えば、”流れ”を有していると思います。
その”流れ”を分析すれば、ある一定のもとでの、未来の予想が可能だと思います。
それはたとえるならば、天気図を読むことができるならば、天気予報が可能ですよね。
それと同じことが言えると思います。
台風がどこのルートを通るかなどは、天気図が読めれば一目瞭然であります。
そのように神の歴史を見るならば、霊性革命は必ず起こり、「問題はその時期がいつか」ということになります。
私は昨年でしたでしょうか、その時期を、「2019年に起こり、もっとも遅くて2014年」と予想したことがあります。
しかしどうやら、主は、本年2016年に、それを成そうとしていらっしゃるようです。
主は仏陀であり、救世主ですので、私などが述べるまでもなく、主が16年とおっしゃるならば、そうなのでございましょう。
その布石は、昨年末の日韓合意、そして先般の、沖縄辺野古基地移転の和解、そして「9条改正は尚早」という、最も保守とも、最も右よりとも言われた安倍首相の左傾化によって、異常なまでのスピードで現実的要素を帯びて参りました。
主は宰相の左傾化を見抜いていらっしゃり、革命を早める必要性があるのやも知れません。
革命は起こります。必ず起こります。
私にわかることは、それは、起こるときには、あっと言う間に起こるだろうということです。
革命とはいつもそのようなものであり、起こるときには、あっと言う間に起こるのです。
そう、オセロの白黒のこまが、ひっくり返るときには、あっと言う間にひっくり返るように。
それが、革命というものです。
その陣形を見るならば・・・、これは世界規模で起こるやも知れませんね。
日本で起こる革命は、これは世界同時革命の火蓋であって、それは小さな神の歯車でしかないように思えます。
それは最初は順々に、そして勢いがつき始め、そして最後は、あっと言う間に成ってしまうでしょう。
ですから私たちは、眼を見開いておかねばなりません。
生き証人として、それを後の世に、語らなければならないからです。
そしてそれは、これからの主の御法話一つ一つの積み重ねによって成るのです。
ですから今後は神の革命の強さと、その圧倒的なスピードを、人として目の当たりにしなければなりません。
それは13日に迫った福岡、そして富山、徳島、大阪、仙台と、だんだんと明らかになります。
ただし、この革命には、どうしても必要な条件があります。
それは、主を信じる方たちの、強い想念です。
主を信じる方たちが、神の力を信じなければなりません。
どう信じればよいか。それは・・・、
「この地上の力より、神の力の方が、圧倒的に強いのだ」
ということを、心の底より信じなければならないのです。
信じられますか?
しかしこれが、天上界の価値観なのです。
この価値観が、この地上においても当たり前にならない限り、主の革命は成らないのです。
そしてこれが、霊性革命の第一義です。
無理やり思っても意味はありません。
ごく自然に、そう思えなければ、信じていることにはなりません。
無理やり思うことは、それは信じているのではなく、そう思おうと努力しているだけですから、霊的には無力なのです。
どのくらいの人たちが、神の力を信じれば良いか。
1万人は必要です。
しかし70億人と言われる地上の人類の中で、たった1万人の主を信じる強い想念があれば、主の革命は成就します。
主の力は強く、主を信じる力も強いです。
そして信仰の力とは、何にも増して強いのです。
なぜならば信仰の力は、神と一体となることだからです。
陣は整っております。
それは、主の歩んできた道のりをつぶさに眺めれば、もうその陣敷きは終わっているのがわかります。
為政者は、心の眼が開いていないのか、神を本当の意味では信じていないのか、その陣形を理解してはおりません。
神が、すべてを創り給うた創造者であることを認識できていれば、このような間違いを犯しはしなかったでしょう。
今世界では、いや日本においても、革命は”必要性”を持ち、その陣形も整っているのです。
後は、強く信じる人たちが、数多く出でることだけなのです。
さあ、友人たちよ、願わくば1万人の中に入り賜え。
革命の成就者になり賜え。
傍観者になるのは、あまりにももったいないことです。
皆様は、時代の子なのです。
ですから神の子としての、最高の栄誉を得賜え。
いつの世も、招かれる者は多いが、選ばれる者は少ない。
さあ、3千年に一度咲く、優曇華(うどんげ)の花を見るが如く、また大海を泳ぐ盲亀が、浮木に辿り着くが如くです。
後の世の人々は皆様のことを、地湧(じゆ)の菩薩と呼ぶでしょう。
またこの時代のことを、天使人類が救った時代とも呼ぶことでありましょう。
それでは、またのお越しを。