☆ ミオ~レ アモ~レ カンタ~レ!!

☆ アミ~ゴ アミ~ゴ-!!


は~い、昨日に引き続き、アモ~レブログの霊的編集長、ピッコロ・アモ~ラが降臨いたしましたですぅ。\(^O^)/



いやぁ、パソコンの調子が悪うございますのでねぇ。

なかなか条件が揃うときはありませんし、アモ~レはカーソル打つのがおっそいのでねぇ、ボクが言ってることに追いつかないからさぁ、言いたいこととかイッパイ残ってるしぃ、まぁボクの思考は超高速回転ですのでねぇ、仕方ないところもあるんだけどね。(^^)


ボクの記事がぁ、他の記事と違ってぇ、膨大に文字数が多いのはぁ・・・ははは、ボクが早口だからなんですぅ。(大笑)


でも、思考が超高速回転って言っても、クルクルパーじゃないよ。(爆笑)

ちゃぁんと、基軸はしっかりしとるぞよ。(爆笑)


でもさ、昨日の記事だけだったらさ、ボクが「趣味性」を否定しているように思われたら、とっても残念だなぁと思ってぇ、これまた降臨したんですぅ。


カーソル操作ヘマしたら、パソコン再起動すれば良いことがわかったのでね。

時間があれば、なんとかなるんじゃぁないかと思うんですぅ。


でも、GOOの桜センセのところ(理想国家日本の条件)とか、別のブログサイトだったら、お邪魔しても何ともないのに、アメブロのお仲間のところに行ったら、マイページ押しても帰ってこれないのは、やっぱ、アメブロのシステム、なんかおかしいぞ!(爆笑)

この間なんか、「いいね」押したら、そこでフリーズしたぞョ!(笑)

これでは仕事にならんから、なんとかして欲しいよなぁ。


とまぁ、なんだかんだ言ってたら、お客さんが最後まで読んでくれなくなるのでぇ(笑)、話をググッともとに戻しますけれどもぉ、人が選択行動を起こすには、「必要性」と「趣味性」と「経済性」と「安全性」があると昨日言いました。これをボクは「選択の法則」と名付けました。


下手に貼り付け作業するとぉ、パソコンがフリーズするのでぇ(笑)、詳しくは、前ページに行ってね。


でぇ、選択するにはぁ、そもそも「必要」がなければぁ選択そのものをしないわけですからぁ、この「必要性」を重視しないといけないと言いましたしぃ

、主もこの「必要性」に向けて、御法話などをなさっているように思うんだな。


だけれどもぉ、「趣味性」というのも、超重要です。

話はそれるけれどもぉ、必要性とか経済性とか安全性、これら趣味性以外の条件がまったくなかった場合には、どういう選択行動が行われるかご存知?


これはぁ、「趣味性」が突出するんですよぉ。



たとえばぁ、バイキング料理の食べ放題なんかがそうだよね。

みなさん、好きな食べ物だけをチョイスするはずです。

ぜったぁい、そうなると思うんだな。

「カロリーがちょっとぉ」とか、健康面(安全性)の制約がない限りね。


たとえばぁ、ブログなんかもそうですね。

なぜならばぁ、読み代がタダだからです。(笑)

ですからぁ、読者さまの行動形式からすればぁ、「自分の趣味に合ったもの」だけを選択するようになるのね。


ブログは読み賃タダだからぁ、趣味だけで選ばれるという宿命があるんだけどぉ、この宿命に立ち向かい、「読まなきゃいけないブログ」を目指しているのが、何を隠そう、この「大川隆法ネット後援会」でございます。v(^^)


だからぁ、嫌いなことはしなくていいし、生活費稼ぐ必要もないし、そもそも永遠の生命だから、命の危険もお腹が空くこともない霊天上界においてはぁ、総勢500億人と言われる霊人たち全てがぁ、み~んな趣味の世界で生きとるわけなんですわぁ。(爆笑)


とまぁ、他の魂の兄弟からは、「あいつはアホーじゃ」とか「難しいことわからん、生意気なガキんちょがぁ」と言われているボクですけれどもぉ(爆笑)、なんせボクの人生はぁ、客商売でしたのでねぇ、営業とか、人を呼ぶとかのエッセンスはあるわけよ。エヘン、エヘン。(大爆笑)


でぇ、この「趣味性」をぉ、宗教に当てはめるとだなぁ、それは「信仰心」に当たると思うんだな。

「信仰は趣味じゃありません」と言って怒られることは覚悟して言っているけれどもぉ、それを信仰していない方から見るとぉ、それぞれの信仰というのはぁ、趣味の領域に属するわけなんだ。悲しいけれども。


でぇ、なにが言いたいかというとぉ・・・・何が言いたかったんだっけ?(爆笑)

ここでちょっと休憩。(^^)

パソコンフリーズしたら、記事がパーになるから。(爆笑)



でぇ・・・要するにぃだねぇ、

拡散とか直接的な非難への対応への力には、実は「必要性」の領域で行われていてぇ、「趣味性」というのはぁ、実は実質的な破壊力はないんだな。

伝道しに行ってもぉ、「それはあんたの趣味ですよね」と言われたら、もうそれでおしまいなわけよ。


「このコーヒー、おいしいわよ」と言って薦めても、「私コーヒー嫌いだし」と言われれば終わるところがあるし、「おい、この酒、旨いぞ」と薦めても、「そもそも俺、酒飲めんし」と言われれば終わっちゃうところがあるよね。


これで苦労したのがぁ、キリスト教の布教なわけですわぁ。

キリスト教というのは、きわめて霊的な宗教でしたからね。

霊的実感というのを重視した宗教ですわぁ。

しかしそれを理論的に、誰でも説得できる形で説明した教えが少なすぎるのね。



旧約聖書をバックボーンとした世界では、予言がありますのでぇ、なんとか「まぁ、そうかもね」と思ってもらえるところもあるんですけどぉ、ローマとか、別の地域に行くと、そういうのないですやん。

となると、無力なわけですよ。


となると、それでもなお、「これが救世主なんです!」と証明するにはぁ、命を懸けるしか証明のしようがないわけなんだな。


「まさか、命をかけるとは・・・」「これはひょっとして・・・そうかも」と相手に思わせるしか、証明のしようがなかったのが、初期のキリスト教だったわけですよ。


そこで重要なのがぁ、救世主というのは、全世界どこにいっても「必要」とされているんだけれども、その救世主を本当の意味で護りきるのは、実は「趣味性」の領域と思われている、信仰心なんだよね。


なぜ趣味性が偉大かというと、趣味・・・つまり、「私は、先生を愛している」とか、「とにかく好きなんです」とか、「そんなの理由なんてありませんよ」という方というのは、ぜ~~~~~ったいに、裏切らないからなんです。


「必要性」の項目だけだと、そうは行きません。

昨日は「薬なら飲むよね」と「必要性」を強調しましたがぁ、「必要性」だけだったらぁ、「これは望んでいる薬じゃない」となったら、ポイっと見向きもされなくなるわけです。


ですからぁ、どんなときでも、いくら苦難にあっても、良いときも悪いときも、絶対に裏切らない。

そういう「強い趣味性」を持った人というのは、ぜ~~~~ったいに必要なんです。



主は大きな仕掛けをこれからなさるでしょう。

2016年は、勝負の年になるでしょう。

ボクでもそのくらいは理解できます。

それは、2016年1年間をかけて・・・というような、悠長なものではないでしょう。



全世界に向け、光の投網を投げかけるのは、もう秒読み態勢に見えます。

1月9日(土)に行われる正義の法講義は、ボクにはその仕掛けに見えます。


今後、世間のさまざまな反応に対して、不動の信仰心で主を護りきらねばなりません。

主をお守りするのは、一見最も弱いと思われる趣味・・・いや、信仰心です。


ちょうど映画、ファイナルジャッジメントの最終場面で、仲間たちが人間の輪によって、救世主と救世主の教えを護ろうとしたシーンがありました。

あれが信仰の姿です。



そしてその後どうなりましたか?

必ずそのときは来ます。

世界が今ほど、「救世主を欲している時代」はないからです。


それは世界だけではなく、日本においても、同様の「必要性」を見出す年になるでしょう。


2016年、本当に意味での、世界に向けての動きが始まります。

それまで、時代の主役である日本国内において、多くの仲間を、神の子の輪の中に、組み入れておいてください。


アモ~レもがんばります。

年甲斐もなく・・・ではありますが(笑)がんばります。


それでは、またお会いできるときを楽しみに。

グラッチェ \(^O^)/


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