ひきこもりです。
偉大なるかな、神は時間を創造し、空間を創造しました。
神はときの中にあり、大宇宙の中にあります。
人はときの中に生きますが、その神のときのドラマを見ることこそ、歴史を見るということです。
ですから歴史は、神の意思を含んでおります。
歴史の中で神の意を汲むには、何らかの異変に着目することが重要です。
つまり何か変わったこと、いつもと違うことには、「必ずそこには、神の意図がある」と思うことです。
それは、神を理解しようとすることであり、同時に神を愛することだと思うのです。
魚が水の流れを無視して泳ぐことができないように、鳥が風を捕らえずして飛ぶことができないように、自由意志を持つ人間とて、神の意図を無視して、無事に生き永らえることなどできません。
いや、ときの流れ、すなわち神の意図を汲むことができるからこそ、人間は万物の霊長として生きていけるのです。
ときの法則、大宇宙の法則こそ神であり、その力に抗えると思うのは、傲慢というより、愚かな、否、哀れなことだと思います。
「来年のことを言うと、鬼が笑う」と日本では言われるようでございますが、私はこの法則を使って、2016年を占ってみたいと思うのです。
さて、この秋からの主のお働きを見るにつけ、それらは、違和感に満ちたものではなかったでしょうか?
一連の動き、そのひとつひとつは、「さもありなむ」と思うかも知れませんけれども、さあ、「えっ!」と思うような、いつもと違うところはなかったでしょうか?
私には、この秋からの主のおはたらきには、やはり意図を感じるのでございます。
いつもと違う違和感の中に、その違和感から来るミステリーの中に、神の意図はあるのです。
ではその、主のご意図とは何か。
それは革命、神による平和裏の精神革命が、もう成就寸前にきているように思えてならないのです。
私には、その陣形はすでに整い、あとは「軍配をいつ上げるか」「火蓋をいつ切るか」としか見えないのでございます。
それは主の近未来予言映画、ファイナルジャッジメントから続く一連の流れが、今ここにきて、急な整いを見せつつあるということです。
そして最近の日本政府は、韓国への動きを行いましたが、これにより、日本に混沌が現れることが読み取れます。
もしや主はそれをも予見し、着々と目に見えない準備をなさっていたように思えます。
おそらくは既に、そのための、人的準備も済んでいます。
今年もあと残りわずかとなりました。
来年2016年は、アラブと中国が歴史の主役となるのでありましょうけれども、それをどう解決するかの鍵は、日本が握っております。
これは逃れられない、時代の宿命です。
政府は、交代しておいた方が良いかも知れません。
日本人が、安穏とした日々を望むならば。
今の彼らだけでは、その歴史のスペクタル、価値観の革命的変化を、易々と受け入れることができるとは、私には到底思えませんから。
少なくとも、主の御心を、直接宰相に進言できる体制があるとないとでは、世界の人々が感じる光の量が、一時的に違ってくるでありましょうね。
それは日本にとっては、さまざまな隙として現れるかも知れません。
歴史のスペクタルとしては、それはある意味で面白いのでございましょうが、現在ただいまを生きる人間とすれば、できうる限り、闇と混沌の時間は、短い方が良いではありましょうね。
主がどちらを選択するかは、もうそれは、仏陀としてのご判断に委ねる以外はございません。
仏陀は、今という時代だけに責任を負っているわけではございませんので、この時々のご判断を、ただの人が、とやかく言えるものではございません。
ただ言えることは、このまま歴史が推移するならば、混沌と秩序、光と闇、正義とその反対のものが相克する、3000年に一度の、大きな大きなドラマが展開されるはずです。
2016年にです。
そしてその決着は・・・、つくときは一瞬でつきます。
主はその仕掛けを、この秋から行っていたはずです。
霊性革命成就を早めるために。
その鍵を握る人物は・・・この時期に、21世紀のダマスコの大改心を成した人物・・・。
今はそれしか言えません。
2015年、かつてSであった人物は、Pとなった・・・。
これが、今の私に言える限界でございます。
それでは、良いお年を。
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