一昨日フランスの首都パリで、大規模な多発テロがありました。
お亡くなりになった方々の冥福を、心よりお祈り申し上げます。
犯行声明もあり、実行犯はIS(イスラム国)のようです。
フランスでは、今年はじめにも一般市民を狙った無差別テロがあり、キリスト教国フランスでのイスラム教による宗教紛争は深刻です。
ただ単純にキリスト教VSイスラム教とも言えません。
なぜなら、イスラム教国シリアでは、イスラム教同士の内戦から難民問題が発生しているように、同一宗教での紛争もあります。
これはイスラム教だけの問題ではなく、約500年前ほど前までは、キリスト教圏のヨーロッパにおいて、カトリックとプロテスタントとの戦争もありましたし、第1次、第2次の2度の世界大戦も、キリスト教国同士で戦っておりました。
宗教=戦争というのが言われますが、結局は人間同士の欲得戦争に、神さまが担ぎ出されているようにも思えて仕方がありません。
ユダヤ教vsキリスト教vsイスラム教の三つどもえの宗教紛争の裏側には、石油を巡る、見にくい利権争いがあるはずです。
ただ宗教を錦の御旗にされると、問題が根深くなり、ややこしくなるのは事実です。
結局は「何が正しいか」が問題であり、この宗教を含めた価値観の決着がつかない限り、宗教を根本原理にした紛争は終わることがないと言えます。
世界から宗教による戦争をなくしていくにはどうしたら良いのでしょうか?
それはひとえに、「神様はどうお考えなのか?」がわかれば良いと思うのです。
結局、宗教の紛争をなくしていくには、宗教をなくしていくのではなく、より高次な視点、神様に近い視点を持った、宗教の価値観の普及と定着しか方法論がないと思うのです。
日本では真言宗であるとか、日蓮宗であるとか、浄土宗などがありますが、日本国民はそれを、「仏教の一会派」と認識しています。
つまり、仏教の一部と認識できるから、宗教戦争はないのですね。
そして日本人は、「宗教間で血を流して戦うことなど、神仏が望んでいるはずがない」と思えるのです。
この原理が世界で行われたら、世界から宗教が原因による流血の時代は終わらせることができるのです。
つまり、「ユダヤ教もキリスト教もイスラム教も、神様の教えの一部である」という価値観です。
これが、幸福の科学が現代に必要とされる所以(ゆえん)です。
これを証明しようとしているのが、幸福の科学の大川隆法総裁なのです。
大川隆法総裁は、法話や霊言によって証明にチャレンジし、思想の力で、宗教や思想による紛争の時代を終わらせようとしているのです。
第2次世界大戦において日本は負けましたけれども、アメリカには最後は負けましたが、ヨーロッパの国々には負けませんでした。
そして戦後の日本は、世界史で始めて、「国土拡張なき大繁栄」という奇跡の発展を成しました。
これが世界から、合理化された人種差別に基づいた植民地時代を終わらせ、他国から富を奪う侵略戦争の時代を終わらせました。
そして今問題となっている、宗教戦争を終わらせるのも、やはり日本だと私は思うのです。
ユダヤ教もキリスト教もイスラム教も、発祥の場所も年代も違います。
それを表面上の文字面だけで正邪を競っても、納得できる人はいません。
それぞれがそれぞれの文化と歴史を持ち、それぞれに繁栄した時期もあり、一概に「これのみが正しい」とは言えません。
また、数億の人間を、邪な教えでだまし続けるのは不可能です。
つまり「それらは、神の視点から見たら、どういう位置づけなのか。」が問題なのです。
真理はひとつですし、神はひとつですが、正しい教えは、ひとつでなくとも良いのです。
たとえば、太陽はひとつですが、あるものはその輝きを、あるものはその暖かさを、あるものはその有用性を説いたって良いですよね。
神の被造物である太陽だけでも、それを説明したならば、一生かかっても解明できないほどのものになるはずです。
ましてや、太陽や地球や生命を創った神仏を説明するならば、教団ひとつ、経典ひとつで説明できると思える方が不遜なのかも知れません。
とにもかくにも、宗教問題を解決するのは、この時代の宿題であり、その鍵を握るのは、それらを説明しきるだけの、高次な視点を有した宗教です。
それがあれば、人類は、憎しみを超え、愛を選択できる可能性があるはずです。
幸福の科学の教えには、それが成せるだけの、高い認識があります。
それは、大川隆法総裁が仏陀だからです。
それではまたのお越しを。