ヨーロッパを訪問中の、習近平中国国家主席。
アメリカの方は、南シナ海に海軍を派遣するようですね。
http://www.zakzak.co.jp/society/foreign/news/20151019/frn1510191900011-n1.htm
先般の習国家主席の訪米で、米中両国がどのような合意と将来像を得たのかは存じませんが、この動きを見る限り、アメリカ側は日本を巡る過去の歴史問題では合意したとしても、現在ただ今の、中国の領土拡張に伴う野心を許すつもりはないようです。
過去の歴史問題と、現在ただ今の国防議論が、まったく同じ土俵で論じられている現在の日本。
ここらあたりの合理性や論理の立て方などは、今の日本がアメリカに学ぶ点かも知れませんね。
もしも、「過去において、先祖の中に罪を犯した者がいたら、いかなる非道な仕打ちも、反撃すらしてはならない」という法律でもあったら、恐らく社会に正義も平和もなく、この世は暴力と怨恨の連鎖と、恐怖心とが支配する世の中になるでしょうね。
沖縄の知事は、国連で沖縄県民と基地問題をごっちゃにしただけでなく、普天間米軍基地の辺野古移設許可を取り消しましたが、さすがに沖縄県民からも、反対の姿勢が見えてきました。http://www.sankei.com/politics/news/151020/plt1510200039-n1.html
沖縄県民はDNA的にも日本人です。
しかしたとえ民族が違っていたとしても、世界一の国防抑止力を自ら放棄して、中国からの侵略の憂き目に合うのはたまったものではないと考える、至極まっとうな意見があることに、私は一筋の希望を感じております。
夕刊フジのネットニュースzakzakさんで掲載されていた記事に、ベトナム兵と中国軍とのやり取りに、彼らの嗜好が如実に表れています。
【貪る中国】武器も持たない相手を不意打ち 岩礁を実効支配 「スプラトリー諸島海戦」 (1/2ページ
http://www.zakzak.co.jp/society/foreign/news/20151021/frn1510211140002-n1.htm
こういうのを、侵略的思考(嗜好)というのですね。
実にわかりやすい例です。
つまりこの場合の中国軍は、ベトナム兵が丸腰だとわかったから、攻め込んで来ているのです。
「反撃される可能性がまったくない」つまり、「自分たちが絶対に勝つ」「しかも無傷で」と判断しているから攻め込むのです。
これが、侵略なのです。
なぜならば侵略は、愛国心や自国民への愛などの、そういう崇高な理念などなく、単なる軍事力を使ったビジネスだからです。
ですから、侵略的思考に基づけば、自分たちより強い相手と対峙することは、絶対にあり得ないのです。
弱い相手を攻め、相手の弱いところを攻め、相手が強ければ、弱くしてから攻めるのが「侵略」 です。
あまり知られていないのですが、建国以来チベットウィグルなど、周辺諸国を占領し続けたのが中華人民共和国の歴史です。
中華人民共和国の歴史は、チャキチャキの、実にわかりやすい侵略国家の歴史なのですね。
では、弱い相手を攻め、相手の弱いところを攻め、相手が強ければ、弱くしてから攻めるのが「侵略」 ならば、戦前の日本は、いったいどうなのでしょうか?
日本が戦争をした相手は、当時GDP世界一位の清、当時GDP2位軍事力1位のロシア、国の主な港をイギリスが借り受けていた中華民国、GDP・工業力・軍事力世界1位のアメリカです。
強国、それも一級品の、超強国ばかりです。
そう日本は、自分たちより弱い相手とは、戦ったことがない国なんですね。
これで、侵略国家と呼べるのでしょうか?(笑)
侵略国の風上にも置けない国が、日本なのではないでしょうか?(爆笑)
ともかく、日本的感覚ならば、武器を持たない相手に、軍事的行動を起こすのは、武士道に反するのでできないのではないでしょうか?
「武器を持たない丸腰の相手に、銃器を向けるのは失礼」と考えるのが日本人です。
しかし、日本近隣の諸国には、「強いものには滅法弱く、弱い相手には滅法強い」というメンタリティーを持つ国が、何カ国かありますのでご注意です。
国内に共産主義的な人治主義が要因の、深刻な経済問題を抱える今の中国は、経済成長率の大幅な鈍化から、かなりの苦境に立たされているはずですが、軍事的にはやはり強気の姿勢を崩してはいません。
その中国の強気の秘密は、実は今公開中の映画、「UFO学園の秘密」で知ることができます。
また、「丸腰の相手には滅法強い」という特徴を持つ中国軍(笑)。
こいつらの動きや行動規範などの情報は、幸福の科学の実写版映画、「ファイナルジャッジメント」を見れば、ものすごくよくわかります。
平和は、平和を維持しようと努力する中にある。
自分の国くらい、自分で護る。
中国軍のベトナム兵への行動を知ると、やはりそういう決意が必要だと再認した次第です。
それでは、またのお越しを。