全国のアミ~ゴの皆様、ようこそ大川隆法ネット後援会へ。(^O^)/

幸福の科学では、3年に一度のペースで、自主制作映画を公開しています。

今年はその、映画公開の年です。


今年公開の映画「UFO学園の秘密 エピソード0」が、10月10日から、11月6日まで、全国の映画館で公開されることとなりました。



      09年公開作品 仏陀再誕のワンシーン



本日は、過去の幸福の科学の映画作品をご紹介しつつ、最新映画の見所を察していただければと存じます。

あはは、まだ公開されていませんので、当然ながら私もまだ見ていないので、察することしかできないんです。(爆笑)



12年公開作品 ファイナルジャッジメント ラストシーン



さて、過去の作品「仏陀再誕(09年)」、「ファイナルジャッジメント(12年)」も、ともに共通する特徴として、信者さん以外でのリピーターさんが、とても多かった作品でした。


私の職場の同僚の方で、仕事の合間合間に、映画「仏陀再誕」にたくさんのお友達を連れて、劇場に通ってくださったTさんという方がいました。


Tさん曰く。

「あの主人公のお話(説法)のシーンが、どうしてもまた見たくなって。」


仏陀再誕では、仏陀役の主人公が7分間に渡って、説法をするシーンがあるのですね。


動きを重視するアニメでは、とても勇気のいるシーンですが、この作品の目玉でもありました。



ファイナルジャッジメントでも、主人公が東京渋谷から、全世界に説法を配信するシーンが見物です。


私は、「ファイナルジャッジメント」がとても好きです。

ファイナルジャッジメントは、見方によっては、とても面白い映画です。


というのも、「日本人にはわかりにくいが、海外の人には、小学生でもメッセージが理解できる」という特徴があるからです。(笑)


それは「ファイナルジャッジメント」の原作が、どうやら、聖書だからではないか・・・と、私は推測する次第です。


詳しくは、カテゴリー「FJ通信」にまとめてありますので、ご参照くださいませ。



日本国内でも、某キリスト教系団体が、ファイナルジャッジメントを布教に使っていたらしいですね。(笑)


聖書、特に新約聖書に出てくるエピソードの、完全な現代実写版が映画「ファイナルジャッジメント」ではないかと思うのです。


日本の方は、聖書に親しんだ方が少ないので、どうしても「ファイナルジャッジメント」が、難しい映画だと思われてしまうと思うのですね。


しかし海外では、日本人が思う以上に聖書に慣れ親しんでいますので、「ファイナルジャッジメント」という作品は、子供でも理解されてしまいます。




前作「神秘の法」では、第46回ヒューストン国際映画祭で、劇場用長編映画部門の最高賞である、「スペシャル・ジュリー・アワード(REMI SPECIAL JURY AWARD)」を受賞したのですね。


言わせていただきますが、これは、


部門賞ではなく、総合で1位 です。


ヒューストン国際映画祭は、サンフランシスコ国際映画祭、ニューヨーク映画祭らと並ぶ、北米三大映画祭です。


「なぜ日本のマスコミが、大騒ぎしなかったのか?」と、日本人の一人として、不思議で仕方がないですね。


      前作「神秘の法」のワンシーン


私が観た神秘の法の感想は、「人物がアニメ作画だから、ぎりぎりアニメ作品だとわかる」というレベルの作品でした。


宗教団体が作った映画だからか、あまりマスメディア等で話題にならないのが残念ですが、ストーリーやクオリティーにおいて、世界随一の作品であることは、これまでの幸福の科学映画の実績から見て間違いありません。


幸福の科学映画作品には、それだけのブランドがあります。

UFO学園の秘密のワンシーン


さて、来月10月10日より上映される、「UFO学園の秘密」ですが、世界屈指の作画クオリティーを誇る、幸福の科学の最新映画作品です。


それだけでも、見る価値あり・・・だと私は思いますね。

すごいと思いますよ。



記事の最後に、「仏陀再誕」の主人公7分説法をご披露いたします。


それでは、またのお越しを。(^O^)/



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仏陀再誕 7分説法



人生の、さまざまな悩みや苦しみの原因は、自らの心を変えないことにある。


人のせい、環境のせいではなく、自らの心を変える事が必要なのだ。
だからこそ、宗教的真理が、心の教えが、必要なのである。


あなたがたの心が飢え、渇く理由は、これらの法を学び、実践しようとしないからだ。


この世の中が、いかに不幸や苦難に満ちていようとも、それを言い訳にしてはならない。


闇に沈もうとしている世の中で、人々の心を明るくし、幸せにしていくにはどうしたらよいかということを、真剣に考えなければならない。


「人間とは何か。」「人生の目的とは。」「人間の幸福とは何であるか。」

私は常に、あなた方に語っていたはずである。


人間というものは、この世だけの存在ではないということを。

人間の本質は、心にある。

決して、肉体にあるのではない。


心のあるべき姿を忘れた現代人よ、よく聞きなさい。



貪ってはならない。


他の人によく見られたいという心、尊敬されたいと思う心、他の人にあこがれられたいと思う心、有名になりたいと思う心、自らの権力を振るいたいと思う心、そのような心は、全てむさぼりの心である。


身分不相応に足ることを知らずに、欲望のままに生きてはならない。


あれもほしい、これも欲しいという、心を捨てなさい。
あくまで奪いつづけるという、心を捨てなさい。



怒ってはならない。


怒りに対して、怒りでもって返してはならない。
動物のように、本能のままに怒ってはならない。

あなたがたは人間として生まれた以上、いかに世界を平和にし、自分自身の心を平和ににしていくかを、考えるあなたがたでなければならない。


互いを認めあい、個性の違い、立場の違いを認めあって、共に暮らしていける世の中を、目指していかなければならない。


怒りを抑えて、平和にな心を求めなさい。


心が平和であるという事が、幸福であるということなのだ。



愚か者であってはならない。


あなたがたは、真理を知らなければならない。


あなたがたの多くは今、暗闇の中を生きているであろう。

無明の闇、明かりのない世界を、手探りで生きているのであろう。


しかし、あなたがたは知らなければならない。

この世界の本当の姿は、明るく、この上なく美しく見えるものだという事を。


心に、真理の火を灯しなさい。

暗闇を照らす、一本のロウソクに火を灯けなさい。


真理を知るということが、悟りの第一歩となるのだ。


心を澄まして自らの内を、自らの真の姿を観よ。

あなたがたは、知らなければならない。

人間が、永遠の生命を生き、転生輪廻をしているという事実を。


あなたがたは、知らなければならない。

人間が、神仏に創られた、尊い存在であるということを。

人間の尊さとは、人間の中に宿れるものの、尊さであるのだ。


この地上的な体験の中から、自らが生かされていることの尊さを、他の生命が生かされていることの尊さを、神仏に創られたる世界の尊さを、強く強く感じ取るのだ。


この世的なる値打ちや、価値観に迷ってはならない。


真理の教えを、すべての事象の中心に置き、判断の基準とせよ。


あなたがたの生命の、真なる意味を考えよ。


今こそ真理に気づき、自分を、世界を、変革するのだ。