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世界一の親日国は、インドネシアともトルコだとも、ポーランドとも言われています。
と言っても、中国と韓国以外は、基本的に親日国なのですが。(笑)
この2カ国とて、政府による政治的意図からくる反日教育によってそうなっている訳ですから、実際に国民がどう思っているかは・・・???ですね。
特にインドネシアとトルコ。
この両国に共通するのは、イスラム教国であるということです。
日本は多神教の国ですが、なぜだか、多神教に厳しいイスラム教国から、とても親和性を持たれています。
それはやはり、歴史的背景があります。
トルコは、1890年9月16日、和歌山県の大島村(今の串本市)の沖合でトルコの軍艦エルトゥールル号が座礁・沈没し、乗組員650名のうち587名の犠牲者を出す大惨事がありました。
村人の迅速な救助と献身的な介護により、69名のトルコ軍人が助かり、その後明治天皇のお計らいで、十分な治療と介護の末、生存者全員を軍艦に乗せてトルコに帰国させました。
トルコではこのエルトゥールル号の物語を、小学校の授業で行っているので、国を挙げて親日なのです。
インドネシアは先の大戦で、日本がオランダからの独立に、大きく関わっていたから親日国なのです。
日本は、インドネシア国民とは戦っていません。
インドネシア軍は、戦前の日本が設立しました。
これは、「日本が、インドネシアを占領しようとはしていなかった」という、明らかな証拠です。
占領侵略しようとしていたなら、絶対に武装解除させるでしょう。
「地元インドネシア人による軍隊を創出した」ということは、「民族は違えど、国と国との付き合いを求めていた」ということですよね。
ならば、アジアにおける旧日本軍の動きは、これは侵略などではなく、一時的な統治です。
長年のオランダ人による植民地政策によって、地元のインドネシア人は、武装解除させられていて、自国軍がなく、統治能力がなかったからです。
日本はむしろ、真摯に歴史を反省するべきだと思います。
自虐史観の押し付けは、事実から目をそむけているだけです。
キリスト教国ですが、東欧ポーランドも、驚くべき親日国です。
これも、90年ほど前に、ロシアとの戦争によって、シベリアに抑留されていたポーランド人の子供たちを、当時の日本が保護し、手厚く治療介護して、母国に送り返したからです。
http://yukan-news.ameba.jp/20140408-112/
これら一連の事例を見ると、日本が愛されているのには、ある共通点があります。
それはこれらの行動が、すべて、「日本人にとっては当たり前のこと」だということです。
異国の軍人であっても、「遭難したら助ける」のも、「人種差別がいけないこと」も、「瀕死の子供たちには、十分な治療介護をする」のも、日本人にとっては、言われなくとも「当たり前」過ぎて、忘れてしまうレベルの話であるということです。
異国の軍隊が遭難すれば、普通の国ならば、「攻め入ってきた人たち」と思われて虐殺されても仕方ないのが、世界的には普通の判断です。
しかし日本人は、「遭難したら、助ける」のが当たり前なのです。
その、「日本人の当たり前」が、世界から人種差別をなくしました。
また戦後日本における、「世界史史上初めての、領土拡張を伴わない高度経済成長」は、世界の人々の心から、「侵略戦争の必要性そのもの」を駆逐しました。
人種差別と侵略戦争。
日本は、日本人の持つ「当たり前」によって、世界から事実上、2つの不幸を消し去ったのです。
今世界は、宗教紛争の悩みの中にあります。
私はこの、時代の宿題の解決をするのも、やはり、「日本人の当たり前」ではないかと思うのです。
日本人の当たり前。
それは日本人が、「宗教同士が戦争をし、宗教の違いによって、人と人とが殺しあうことが理解できない」ということです。
それは日本の、長い歴史によって培われた「当たり前な価値観」です。
ですから私は、「日本人が目覚め、真にその精神性を発揮すれば、世界は救える」と確信しているのです。
そんな日本人が自虐史観を持ち、縮こまっていたら、世界は光を見出せません。
日本は、本当の意味で誇りを取り戻し、世界に光を手向けるべきです。
その処方箋は、現代の仏陀によって、もう既に示されているのですから。
それでは、またのお越しを。(^O^)/