口永良部島の噴火、小笠原諸島近辺でのM8.6の地震、九州での豪雨、箱根の火山活動、群馬での突風、浅間山の小噴火、連続する強い台風。
昨日は東京渋谷が冠水し、四国では地震もありました。
ここ1~2ヶ月の間に、日本は全国規模で、一歩間違えば大災害という自然現象が多発しています。
これらは一体何を現しているのでしょうか。
日本のみならず世界史レベルで歴史を見ると、文明は人心が乱れるとき、自然災害は多発しています。
古代ローマ、カルタゴなどが有名ですし、中国でも人心の乱れと飢饉、そして王朝交代がリンクしています。
また聖書を見れば、古代イスラエルの人々が信仰心を失ったときに、外国に襲われ国家が滅亡しては復興する歴史です。
地球温暖化やダウンバースト現象、水蒸気爆発など、災害を科学的学問的に分類することで、人は自然を理解した気になります。
しかし人間には、ダウンバースト現象を防ぎえることも、水蒸気爆発を起こすことも、火山の噴火を止めることもできないのです。
はっきり言って、人間は自然の膨大な物理的エネルギーの前には無力です。
理解した=制覇したと思うのは、傲慢なだけです。
理解したなら、理解しただけ謙虚になり、その上で最善を尽くすのが、「人としての道」だと私は思います。
魚は、水の中では自由に泳げます。
鳥は、自由に空を飛ぶことができます。
しかし、魚は川の流れに逆らうことはできないし、気流を掴むことなく、空を飛べる鳥もいないのです。
万物の霊長人間は、「自然からのメッセージ」そして「時の流れ」という、大いなる神仏の意向を汲み取り、その中で最善を尽くせるからこそ、神仏の霊長としての、自由で幸福な人生を満喫できるのではないでしょうか。
科学が、神意を汲み取ることを拒絶するために、使われるべきではないと思います。
本来の科学は、「神の創られた世界を、解明するためにある」と私は考えます。
「それは対立する関係ではなく、補い合う関係であるべきだ。」
こう考えるのは、私だけでしょうか。
大ニュートンやアインシュタイン博士や湯川博士。
彼ら超一流の科学者は、皆、神を深く信じていました。
それはこの、科学と信仰の関係を、超一流の科学者らは、深く理解していたからだと思うのです。