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このブログでは、ときに歴史を連続して扱うことがあります。

今は、飛鳥時代の聖徳太子の時代に着目しております。


「聖徳太子不在論」なども出没しております。

それは、「日本にスーパースターがいたら困る。」と言っているようなものです。


しかしたとえ、個人としての聖徳太子がいなくても関係ないのです。

それがたとえ、古事記が書かれた後代の創作であっても、関係がないのです。


なぜならば、この聖徳太子の政治と言われる、様々な政治的実績そのものが、人類史にそびえ立つ、金字塔だからです。


「聖徳太子不在論」などを拡散している人たちは、政治実績や、歴史的価値が理解できないのです。

それは、たとえ現代で行われていたとしても、神業的政治実績です。


まあ、凡人がいくら議論したとしても、聖徳太子の政治実績は残せないのは、その後の日本の歴史が証明しておりますよね。



前回は、有名な十七条憲法第一条、「和を以って貴しとなせ」でしたが、今回はこれまた有名な第二条、「篤く三宝を敬え」の精神です。







日本は古来より、また現代に至るまで、天皇を頂いた国家です。
天皇はその縁を辿ると、日本神道の主催神、「天照大神の子孫」となり、全国の神社の最高の神官でもある宗教家でもあります。


そうです。

天皇は宗教家・・・というのが、日本の宗教対立を根絶した、大きな大きなポイントです。

天皇を頂き続けるということは、つまり、神道を奉ずることであり、日本の国教は日本神道・・・となる・・・のです。


が!



聖徳太子は十七条憲法という国家の支柱をつくるにあたり、この第二条で事実上、仏教を国教化しました。

なぜならば、第三条に、詔(みことのり)に従え・・・が来ます。
詔とは、天皇の言葉です。


天皇の言葉より、さらに上位概念として、「仏教を敬う」が来ておりますよね。

これは事実上の、「仏教国教宣言」です。

太子が、「仏教を中心とした国づくりを宣言したもの」だと解釈して良いと思います。

何より、聖徳太子ご自身は仏教に帰依され、そして太子のお父上である用明天皇が、歴代天皇として初めて仏教に帰依なさっていらっしゃいました。

仏教は、最高の神官が、帰依できる宗教であった・・・ということです。

またこれは、場所を変えてたとえると、ローマ法王が、仏教に帰依した・・・みたいなものなのですね。

驚きの歴史的事実です。



天皇=国王ではないからです。

天皇は、宗教家だからです。





二に曰く、篤く三宝を敬え。三宝とは仏法僧なり。 (下略)
(ににいわく、あつくさんぽうをうやまえ。さんぽうとは ぶっぽうそうなり。)

第二に示しておきたいことは、仏教の三つの宝を心から敬って欲しい、ということなのである。

「三つの宝」というのは、「悟った仏」、「仏の説いた法」、「法にしたがう僧」の三つの事である。



そして、その第二条の内容ですが、

これらは、生きとし生けるものの最終的な拠り所であり、すべての国にとって最も大切な教えなのである。

したがって、いかなる時代のいかなる人であっても、
この教えを貴ばないでよいという事があるだろうか。

きわめて悪い人間などというものは非常に少ない。

また、それらの者でも、よく教え導きさえすればついてくるものだ。

しかしながら、もしこれらの三つの宝を拠り所としないとしたならば、どうやって心のまがっている者達を正しくする事が出来るだろうか。


となります。

つまり憲法を制定し、仏教を国教化するにあたって、太子は、「仏教を正しさの基準」として捉えていたことがわかるのです。


https://www.irhpress.co.jp/irhpress/news/16019/



なぜ太子は、仏教を正しさの基準としたのでしょうか?
それは仏教の真髄を、太子がご理解なさっていたからだろうと思います。

仏教の真髄とは何か。

それは、因果の理法です。
因果とは、原因と結果です。

アモ~レ流に言えば、「つじつまが合う」になります。(笑)

つまり仏教は、宗教でありながら、同時に科学でもあるわけですね。

その科学的思考の実例集が、多岐に渡る仏教の教え(法)なのです。


法を説いたのが、仏陀(お釈迦様)であり、法を守り広げているのが僧なので、これらは共に貴いので敬え・・・となるのです。



アインシュタイン博士(左)と湯川秀樹博士(右)

超一流の科学者の多くが、とても強く神仏を信じています。




また、神道には儀式神事はあっても、教えがありません。
一方仏教は、「教え」が中心の宗教です。

また仏教は平和的な教えですが、その性格上、国防に弱いところがあります。
神道は国防概念に富んだ宗教です。

これらが対立するのではなく、日本では補えあえたのです。


他の地域では、仏教は他の戦闘に強い思想勢力の対決に、あがらうことができませんでした。
まぁ、それゆえに、日本にたどり着けたとも言えますが。


そして仏教の創始者である、ゴーダマ・シッタールダというお方は、釈迦国の王子出身者です。
つまり本来は、政治家となる方が起こした宗教である事実も忘れてはなりません。


要するに仏教には、国家を預かる政治家が、心の拠り所とするべきエッセンスが、教え(法)の中にとても多く含まれているのです。

そしてここが大切です。

日本の憲法で唯一、その憲法の正しさの根拠を示す思想哲学を明言しているのは、十七条憲法だけ です。




大日本帝国憲法も、現行日本国憲法においても、日本国の国教を明言していません。

その国が考える上位概念、つまり、正しさの基盤の存在を明言できていないのです。

つまり、残念なことに、

日本の近代憲法の二つには、哲学がない のです。

これが両法の、「法としての限界値の低さ」を露呈していると、アモ~レには思えます。
ですから日本は、聖徳太子の十七条憲法を見直し、その精神をよみがえらせるべきだと考えます。



そしてこの、太子の行った、仏教の国教化政策とその方法論が、宗教対立を根絶するエッセンスを含んでいたのですが、それはまた後日。


それでは、またのお越しを。(^O^)/




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