全国のアミ~ゴの皆様、ようこそ大川隆法ネット後援会へ。(^O^)/
先日、大川隆法幸福の科学総裁御法話「私の生き方、考え方」―現代的悟りとは何か〈2〉を拝聴してまいりました。
倦まず弛まず(うまずたゆまず)。
この方の生き方というのを、ひとことで現すならば、そうなるのでしょうか。
若き日、大手商社勤めをしながらの宗教修行。
世界的視野を得つつ、仕事能力を高めつつ、心の内面を深く掘り下げ磨きをかけるという、これまで聖者と言われる方であっても、誰も経験し得なかった人生を歩み、たった一人で始めた幸福の科学。
立つときを悟り、30歳にして大手商社を辞める際に、それまで付き合ってきた友人や、厳しく指導され続けた、当時の上司筋の方言われたエピソードには・・・笑えました。(爆笑)
それは社交的で、人間味溢れる大川総裁の、なんとも微笑ましい限りのエピソードでした。
大悟から10年を経て、宗教法人を所得し、幸福の科学はその後、今に至る世界的大発展となるのですが、それを大川総裁曰く。
「やりながら、宗教になってきた歴史です。」と。
その一言に、長く会員をやってきたアモ~レは、「言いえて妙。」とうなずくばかりでした。(笑)
言われてみれば、本当に、そのとおりだったからです。(爆笑)
紆余曲折はありながらも、多くの人々の心を潤そうと、「決して同じ話をしない。」という、この御仁の前人未到の働きは、リピーターがリピーターを呼び、今の幸福の科学となっているのです。
また、智慧の法にある、「成功と幸福は、必ずしも一致しない。」という言葉の裏に、この御仁が経験した、尋常ならざる発展と共にあった悲しみや、その中における人間関係における苦難をも、受け入れ乗り越えて来た歴史という、裏づけのある言葉だと思いました。
この御仁の光る言葉は、「悲しみの雨のあとに架かる虹」だと、アモ~レには思えました。
智慧と慈悲
釈尊が、何ゆえにあれだけ尊敬されつつ、多くの庶民にまで親しまれたのか。
アモ~レには、なんとなくわかったような気がした一日でございました。
この御法話は、大悟記念御法話として、もよりの支部や精舎で拝聴できます。
イスラムテロなど、宗教に関する暗い話題の多い昨今。
一般市民を巻き込むようなテロは、実に軽い神認識から発生した、自己中な人間のなせる技であることが、大川隆法総裁の話を聞けば、その根底からわかるのです。
神は愛であり、慈悲であり、智慧であり、勇気であり、寛容であり、自由であり、希望なのです。
それは目には見えません。
しかし確かに存在するのです。
それは、神仏も同じです。
暴力によって人を不自由にさせ、自身の願望をかなえようとする心は、神の心の真逆にあるものです。
イスラム教もキリスト教も、新たな福音(神の教え)に、耳を傾けていただきたいです。
「憎しみを捨て、愛を取れ。」
この時代の宿題の克服に、アモ~レは人生を捧げる所存です。
微力ではあるが、無力ではないと信じて。
そして願わくば、今を生きるたくさんの方々に、共に時代の宿題の克服に、力を貸して頂きたいのです。
それでは、またのお越しを。(^O^)/