こんにちはー。
大川隆法ネット後援会長の、アモ~レでーす。
昨日の記事の続きです。
要は、人間というのは、安心したい・・・という本能が、どうやらあると思われるのですね。
正常性デバイス・・・というそうです。
要するに、生きていく間に、危険はたくさんありますので、それをすべて認識していたら、心身が疲労してしまって、身が持たないので、ストレスを緩和させる機能が、人間にはある・・・ということらしいです。
もしこの仮説が本当であるならば、生物の中で、唯一人間だけが持っている本能だと思われます。
通常の生物であるならば、彼らは危険回避本能しかありません。
そう、危機が来れば、逃げるか、身を隠すか、戦って危機を打ち砕くか、この3つの中でしか、選択肢を持たないのが、通常の生物なのですね。
家庭で飼われているペットですら、この危機回避本能を持っています。
危機を察知して、ジタバタしない生き物など、人間以外いないのですね。
なぜなら、野生の環境では、危険回避行動を素早く取らない限り、待っているのは、死のみ・・・であるからです。
しかし人間だけは、
「今までは大丈夫だったから、今回も大丈夫だ。」
「みんな、平気な顔をしているし、多分大丈夫だろう。」
という思考を、持ってしまうことがあるのです。
「日本の治水技術は全国一であるから、この程度の大雨は大丈夫だ。」
とか、
「ダムの放水サイレンが鳴ったけど、今まで川の水が堤防を越えたことはないから、きっと大丈夫だ。」
など、そういう事例は、日常生活の中で事欠かないはずです。
そして時々裏切られて、痛い目に逢ってしまうんですね。(^^;
なぜなのでしょうか?
実は、今の僕には、よく分からないのです。(^^;
恐らく、人間が持つ信仰の本能に付随するものであろうと思われますが、
はっきりとしたことは、今の僕にはわかりません。
ただ、人間だけが唯一、危険回避思考以外の思考パターンを持つこと自体が、
人間が他の生物から、単純に進化しただけの存在ではない・・・ということの、
動かしがたい証拠ということだけは、正しいと僕は思うのですね。
故に、進化論者が言う、アメーバーなどの単純な生物から、全ての生物は生まれ、進化した結果、人間が生まれた・・・という説は、間違いであると僕は断言したいと思います。
でなければ、生物の中で唯一人間だけが持つ本能の意味が、説明できないからです。
人間は安心したい・・・という本能があります。
この本能に付け込み、恐怖で人身を支配したり、コントロールしようとする輩は後を絶ちません。
めったやたらと「地獄に行くぞ!」とか言って、人を脅す邪教ですね。
全く許しがたい暴挙です。
これは、人類に対する罪だと私は思います。
また、人間の弱さがあるが故に、宗教が生まれた・・・とする、
無宗教勢力も現実に存在するでしょう。
しかし、その両者とも正論とは言えません。
全く、トンチンカンな見解であると、僕は思います。
この、人間の安心したいと思う本能の存在こそ、
人間が他の生物とは、明らかに違う、特別に創られた存在である・・・
という見解こそ、正論の中の正論だと僕は思うのです。
そしてそれは、人類最高の幸福と呼ばれる、悟りにつながっていると僕は思うんですね。
そう、仏教で言うところの、涅槃(ねはん)や解脱(げだつ)の境地を求める心と、それはつながっていると僕は思うんです。
そしてそれは、とりもなおさず、人間は信仰の本能を持つとも、言い換えることができると思っています。
人間だけが持つ、アンしたいという本能=正常性デバイスは、信仰の本能と、か・・・な・・・り・・・、密接な関わりがあると思うのです。
少なくとも、進化論では、この正常性デバイスの存在を、説明できないのは確かです。
それでは、またのお越しを-。(^O^)/