全国のアミ~ゴの皆様、ようこそ大川隆法ネット後援会へ。(^O^)/


すべての歴史には、分岐点というものがあります。


しかし僕たち人間は、今現在の状況というものを、つい当たり前のように思ってしまいます。

日本が技術立国であることも、日本が経済大国であることも。


現代日本は、平和な技術大国です。


しかし同じ空の下、技術を宗教の違いによる抗争のための、殺し合いのためにだけ使う国もあれば、殺し合いの道具を作り売りさばくことで、その日の利益を得ている国家もあります。


日本は技術立国ですし、経済大国です。

かつては優れた武器も作っておりましたが、日本が誇るべきは、日本という国は、大量破壊兵器を作ったことがないことです。


日本の作った武器は、すべて国防や治安のためのものです。

古来より日本人の考える技術とは、それは「道」であり、神に捧げるものだったからです。


日本人の思想において、「神は大量殺戮を望んでいない。」と考えるからこそ、日本から大量破壊兵器が作られたことがないのです。


さて、技術大国日本の象徴というべき自動車社会においても、かつては様々な技術的困難と闘い、そしてそれが、多くの人々に認められたからこそ今があるのです。


その原因と結果によって富が生まれ、今があるという事実。

この富の形成には、様々なる苦悩があり、それを過去の人が乗り越え、血肉としたからこそ今があり、そしてその今が、未来へとつながっていくのです。


さて、かつて日本には、ギャランGTOという美しいクーペが存在しました。


(1970年発売 三菱ギャランGTO MR)


この美しきクーペが、その後の日本の自動社会のみならず、世界のトヨタを育てた・・・というのが、僕の見解です。


なぜならば当時のトヨタは、この小メーカーが作った作品に、どうしても勝てなかったからです。


販売実績ではありません。

自動車製品として、どうしても勝てなかったのです。


ギャランGTOと同じ70年に、トヨタから、日本自動車史上の名作が誕生しています。

セリカです。


(1970年発売 トヨタ セリカ 1600GTV)


上の画像は、通称ダルマと呼ばれる車体です。

日本車ベストデザインとも言われる、美しいクーペです。


三菱ギャランとトヨタセリカは、ほぼ同じ寸法、同じく4気筒エンジンを積み、後輪を駆動するFR車でした。

前輪サスペンションはストラット式、後輪はギャランGTOが昔ながらのリーフリジッド、セリカは一歩進んだコイルバネ式でした。


トヨタセリカは、大ヒット商品となりました。

一方、ギャランGTOは、まずまずのヒット作でした。

しかしこのトヨタセリカは、動力面に限って言えば、三菱ギャランGTOに、まったく敵わなかったのです。


スポーツタイプの乗用車というのは、自動車雑誌などでは取り上げやすい商品です。

言わば、自動車メーカーにとって、スポーツカーは広告塔です。


ですから、自動車雑誌などのマスコミでは、トヨタセリカVS三菱ギャランGTO企画は、何度も何度も取り上げられるわけですね。


しかしそのいずれにでも、トヨタセリカはGTOに負け続けました。


トヨタセリカが積むエンジンは、名機と呼ばれる2T-Gエンジンです。

1600ccの、4気筒DOHCエンジンです。


一方GTOは、同じく4気筒DOHC1600ccの、4G32です。


(トヨタセリカの2T-Gエンジン エンジンの上にある棒の下にタイヤの中心があります。エンジンが前タイヤ前方に、出ているのがわかりますかね?)



(三菱 ギャランGTOの4G32エンジン。 タイヤの納まる空間に、重いエンジンが納まっています。)


GTOのエンジンとセリカのエンジンは、特徴が違っています。

GTOのエンジンは、三菱伝統のロングストロークタイプ。

セリカのエンジンは、レースを意識した、ショートストロークタイプです。


セリカのエンジンはよく回り、軽快なのですが、力(トルク)が弱かったのです。

一方GTOエンジンは、低回転からモリモリと力を発揮するタイプです。


三菱は伝統的にトルク重視で、パワー無視のロングストロークタイプなのに、125馬力出していました。

トヨタ2T-Gは、115馬力でした。

2T-Gはショートストロークだったので、これ以上馬力を追及すると、日常性に問題が出たはずです。


セリカとGTO対決のインプレッションで、再々指摘されていたことは、「フロントヘビーで、アンダーステアが強い。」という、トヨタセリカのコーナーリングでした。


DOHCエンジンは重いので、車体フロント部が重くなるのですが、それは三菱GTOも同条件のはずです。

ですが、ギャランGTOのコーナーリングの評価に、「フロントヘビー」や、「アンダーステア」という文字は皆無です。


これは以前指摘した、前輪ストラットサスペンションをきちんと動かすための土台。

つまりボディー強度の方に、セリカが問題があったということなのです。

http://ameblo.jp/oramorre/entry-11929755953.html


ギャランGTOのボディーの母体は、前年に発売されたコルト・ギャランと同じシャーシです。


つまり、フロントミッドシップです。

しかもコルトギャランより、ボディー重量は100㎏ほど重い構造です。

つまり、同じクラスの小型車より、100㎏重かったコルトギャランの強いボディーを、さらに強化しているのがGTOなのです。

http://cdn.mkimg.carview.co.jp/minkara/photo/000/003/101/832/3101832/p5.jpg?ct=052b81d9103d

(ギャランGTOの透視図。ぎりぎりではあるが、フロントミッドシップ構造だとわかる。)



(小さい画像ですが、セリカの透視図。エンジンが前タイヤより前方に来ています。)


モノコックボディーというのは、ボディー全体で強度を保ちます。

GTOの原型であるコルトギャランより、GTOは遥かにサイズアップしています。


デザイン上の処理から、ボディー前後を伸ばています。

大きくなった分当然強度は落ちます。

その分をGTOは、ボディーさらに強化しているので、元々重量の重いコルトギャランよりも、更に100㎏も増えています。


コルトギャランとギャランGTOの、前輪と後輪の間隔(ホイールベース)は同じであり、基本骨格は全く同じです。

前輪から前と、後輪から後ろのボディデザインを伸ばして、かっこ良く整えたのがGTOです。


コルトギャランから、さらに小型化したギャランクーペFTOでは、ボディー全体は小型化によって強化されますので、同じ構造でも重量は大幅に減っています。


(ギャランGTOの弟分、ギャランクーペFTO やはりエンジンは、前タイヤハウスの中に納まっています。)


つまり三菱は、技術的には、やるべきことはちゃんとやっていたのです。

この頃のトヨタと三菱の技術力の差は、三菱が基本に忠実だった・・・ということです。


大トヨタが偉かったのはここからです。

連日自動車雑誌で、「名ばかりのGT」とか、「トヨタ馬力」と言われ続けたトヨタ。


スポーツカーは、マスコミに扱われやすい広告塔ですから、それは取りも直さず、自動車メーカートヨタの評判となってしまいます。

スポーツカーの評判は、メーカーの技術力と、同一視されて評価されてしまうのです。


スポーツカー=自動車メーカーの広告塔・・・の負の一面です。


トヨタは、セリカ強化策に討って出ました。

販売絶好調の商品セリカに、大規模な技術的なテコ入れを断行したのです。


トヨタはセリカに、LB(リフトバック)シリーズを投入しました。


(1973年登場の、セリカLB 2000GT)


LBは、ダルマよりボディーサイズを拡大していました。

これは、同一車種ではあり得ない決断です。


なぜなら、製造プラントの、大幅な組み換えが必要だからです。

また、これまで作り置きしていた基礎ボディーや、それに伴う金型などが使えなくなるからです。

トヨタは、セリカLBの新規投入で、大幅な出費をしているはずです。


このセリカLB投入は、大規模なマイナーチェンジ・・・と言われていますが、これは事実上のモデルチェンジですね。

デザインをほとんど変えなかった、フルモデルチェンジなのです。


なぜセリカLBで、ボディー拡大をしたか。

それは、大きなエンジンを搭載する必要があったからです。


18R-Gという、4気筒2000ccのエンジンです。


(トヨタ18R-Gエンジン。 2T-Gより、エンジンブロックが大きい。)


2T-Gは、小型車用のエンジンなので、エンジン全体が小ぶりです。

ですから、小さなセリカのボディーで大型車種用の18R-Gを積むには、ボディーサイズ拡大が必要だったのですね。


これは、量産型自動車メーカーとしては大英断であり、それはひとえに、「三菱ギャランGTOに勝つ。」という、大トヨタの意地の決断だったはずです。


セリカLBは、これまたとても素敵なデザインで、ダルマを超える大ヒットとなりました。

しかしその走行性能では、ついにギャランGTOを、超えることができなかったのです。


相変わらず、「フロントヘビーで、アンダーステアが強い。」「直線番長」と評価され続けました。

大きなエンジン搭載で性能向上を狙ったのですが、肝心のエンジン搭載位置は、フロントタイヤの前に突き出た形の通常のFRであり、またボディー強度も、ストラットサスペンションが十分機能を果たせるだけの水準には、残念ながら達していなかったのです。


順不同ですが、72年には、小型車カローラ&スプリンターに、セリカの2T-Gエンジンを積んだ、レビン&トレノシリーズも出しています。


(トヨタ カローラレビン 初代)


これは僕は、「カローラの軽い車体に、強力なエンジンを載せれば、GTOに勝てるんじゃないか?」という、単純な発想から生まれたモデルではないかと思っています。


しかしやはり、小さなエンジンルームだと、理想的な場所にエンジンを積むスペースはありません。

レビンは重いDOHCエンジンを、セリカよりも更に前タイヤの前方に、積まなければなりませんでした。


フロントヘビー度は、セリカの比ではありませんし、小型車カローラのボディーでは、ストラットの機能を果たせるだけのボディーの強靭さを、期待する方が無理というものです。


レビン&トレノは、セリカ以上のじゃじゃ馬で、もっと直線番長でした。


(カローラレビンの2T-Gエンジン。セリカより、さらに前方に突き出ています。)


この頃にトヨタは、対ギャランGTOへ意地の対決を試みましたが、結局すべて敵わなかったのです。

しかし、この頃のトヨタの製品が、劣っていたとは言い切れないし、トヨタの挑戦は無駄ではなかったのです。


三菱ギャランシリーズは、強いトルク・フロントミッドシップ・強靭なボディーという、現代にも通じる普遍的な技術であり、トヨタはその、技術の普遍性に挑戦していたのですから。


結局のところ三菱ギャランシリーズは、販売のトヨタを、真の技術者集団に導いたと思います。

ベンツやBMWやポルシェに負けたとて、当時の日本の第一人者としてのプライドは傷つきません。


身近な小さなメーカーから出た、ただのセダンベースのスポーティーカーに、どうしても勝てなかったからこそ、トヨタは本気の自動車つくりができるようになったのです。


同じく量産車メーカーです。

不要なコストはかけられないという、企業としての条件は同じだからです。


とにもかくにも、三菱の実直なものつくりは、大トヨタを真摯にしたのです。


その後のトヨタの、技術に対する真摯な取り組みがあればこそ、後の生産台数世界一のトヨタはあり、日本の繁栄もあるのです。


それでは、またのお越しをー。(^O^)/


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