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今日のお話は、実は昨日書いたものだったのですが、僕がPC操作を誤り、記事が消えてしまっていました。(笑)

書き直そうとしていて、再度挑戦してたんですけど、あらら・・・、だんだんと話が逸れていったのが・・・前回記事でございます。(爆笑)


日本って、自動車メーカーがとても多いですよね。

トヨタ・日産・ホンダ・マツダ・三菱・スバル・ダイハツ・スズキ・・・

これだけ多くの自動車メーカーが、ひとつの国に軒を連ねるところは、日本以外にはありません。

かつては、今はトラックメーカーの、日野もいすゞも、乗用車を作っておりました。


(日野コンテッサ)


(いすゞ117クーペ)


中国はたくさんの自動車企業がありますが、実態はすべてが、外国資本の外国技術ですので、現地生産場所兼、大量消費地・・・というのが、正しい見方だと思います。


自動車というのは、消費者の嗜好が強く働く商品なので、とても浮き沈みが激しい業界なのですね。

設備投資も新規開発事業も、とても難しい分野です。

大ヒットだと、メーカーはぼろ儲けしますが、その後鳴かず飛ばずの商品が出てしまえば、一気に破産・・・

ということも、決して珍しくないのが、世界の自動車メーカーの歴史です。


日本の自動車メーカーには、外資に経営権を渡してしまったところもありますが、それは残したい何か・・・があるからであって、そういうメーカーとしての付加価値がないと、基本的には生き残れない業界です。


その自動車メーカーがたくさん存在し、そのメーカー同士が、激しく切磋琢磨しているところが、日本自動車の、国際競争力の強さの根源でもあります。

また多くの自動車メーカーが、現実に存続できるだけの、消費地としての日本市場も、これまた世界的にも稀有なる存在なのですね。


その幾多の自動車メーカーが乱立する、自動車戦国時代の日本に、かつて業界としての危機がありました。


それが、1963年(昭和38年)から、1年間も国会で議論された、特定産業振興臨時措置法案です。

これは、日本国内の鉄鋼や化学製品の企業などが、世界企業と比べて小さく、企業間競争に勝てないので、それらをまとめて大きくし、資本や技術面で国際競争力を維持しよう・・・というもくろみです。


その特定産業振興臨時措置法案は、自動車業界も入っていました。

その流れに対応する形で、スカイラインやグロリアを作っていたプリンス自動車は、日産と合併したのですね。


しかし、その国家による、自動車メーカー統合の動きに、ひとり反発し、立ち向かったのが、ホンダの創業者、本田総一郎氏だったのです。


1963年当時、ホンダは世界一のオートバイメーカーとなっていました。

そこで企業の時期戦略として、4輪車に進出しようとしていた矢先、この特定進行臨時措置法案が、国会で議論され、内閣の合意を得ていたのです。


本田総一郎氏は、激怒しました。

「それでは、新規参入企業は、この業界に永遠に訪れない。」

「それは、国内企業間での切磋琢磨の機会を奪い、日本の自動車業界は存亡の危機を迎える。」と。


そこで、まだ販売網などの整備が不十分な中、1963年2月に、急遽販売されたのが、T360という軽トラックです。

これは日本初の、DOHCという、高性能なエンジンを積んだ自動車でした。


ホンダT360(日本初のDOHCエンジン搭載者)



オートバイの販売網しか持たない当時のホンダは、バイク屋さんでも売れる商品として、軽トラックを開発していましたが、肝心の実用エンジンの開発が遅れていました。


そこで、後に発売される、ホンダのイメージリーダーカー、Sシリーズに積む予定だった、高性能のDOHCエンジンを搭載したのです。


(ホンダS800)


本田総一郎氏のすごいところは、ただ官僚に文句を言うだけでなく、実際に実車を販売したところです。

これでホンダは、自動車メーカーとしての、既成事実をつくったからです。


T360は、実用的な軽トラックとしては、扱いにくい商品だったはずです。

なぜならば、エンジンが高性能すぎたからです。(笑)


ホンダS800のエンジン


出力(馬力)というのは、物理的には仕事量です。

それは、回す力(トルク)×回転数です。

エンジンの排気量というのは、ガソリンの混合気を爆発させる量です。

トルクは、大体この排気量で限定されます。


同じ排気量で、大きな仕事量、つまり高出力を得るためには、

高回転で大きなトルクを発生し、それを維持することが重要なのですね。


ところが、当時のエンジン技術だと、高回転でトルクを維持しようとすると、街中運転や作業走行などでの、実用的な回転数では、トルクがスカスカになってしまっていました。

これは、エンジンの宿命だったのです。


このエンジンの宿命を、解決したのもホンダなのですが、それはまた後日。(笑)

ですから当時は、高性能なエンジンほど、実用的ではなかったのです。


ホンダの技術者から、

「おやっさん。」(当時本田氏は、社員から、こう呼ばれていました。)

「軽トラックに、積むエンジンがありません!」


と言われた本田氏曰く。

「Sシリーズのエンジンが、もうできとるじゃろ。」

「あれを積め!」


技術者曰く。

「ぎょえ~~~~。」

「おやっさん、あれを積むんですか?」

「街中、走れませんぜ!」


本田総一郎氏曰く。

「トラック用に新開発しとったら、間に合わん。」

「やれ!」


こういう会話が、当時のホンダ社内で交わされていたと、お聞きしています。(笑)



軽トラックT360へのDOHCエンジンの搭載は、諸説ありますけれども、実用エンジンが、法案可決に間に合わなかった・・・ということが、もっとも歴史的事実に近いのではないかと思います。


(ホンダT360 未販売)


しかし量産トラックT360に、超高性能なDOHCエンジンを搭載した結果、当初のイメージリーダー的な存在であったスポーツカー、S360に積むエンジンはなくなったはずです。


当時のDOHCエンジンは、ただでさえ超高性能です。

しかもホンダSに詰まれたエンジンは、世界一精密と言われた代物です。

もともと大量に製造の計画はなかっただろうし、易々と再量産できるものではありません。


ですからトラックT360に、超高性能DOHCエンジンを積んだことで、S360に載せるエンジンは、使い切ってしまったはずなのです。


僕はこれが、軽スポーツカーとして世に出るはずだった、S360がお蔵入りした真相だと思います。

ホンダ社は、何もコメントしませんが。

まぁ、役人を刺激しても、得なことは余りありませんから、言わぬが仏・・・でありましょうね。


話を戻します。

お上の決断が決定してしまえば、新たな自動車業界への新規参入は、もう事実上できません。

ですから、既成事実としての自動車販売という、下手をすれば破産する挑戦を、本田総一郎氏は、実際にやってのけたのです。


結局特定産業法案は、その後議論不十分なまま、廃案となりました。

ただ、高性能高品質な製品を作っていたプリンス自動車は、その国家の動きのあおりを受けて、伝統ののれんを消す羽目になりました。


プリンス自動車は、日本を代表する高級車メーカーに、なれるだけの基礎技術があっただけに、プリンスと日産の合併は歴史的に、とても惜しいことだと僕は思います。


(プリンス ロイヤルプリンス)


しかし、技術者として、また企業家としての本田氏の、熱い情熱と実行力は、その後の日本自動車業界の発展に寄与するだけでなく、その他多くの産業に、自由の風を吹かせたと思います。


偉大なホンダの業績は、まだまだ語りつくせませんが、その根源には、熱いホンダスピリットがあるのです。

ホンダは、いつも困難を、新しい手法で切り抜けます。

そして突破口を開く企業です。


今も、幸福の科学大学という私学の認可を巡って、わからずやで、机上の論しか言わぬ政治家や役人が、何かと要らぬお世話のイチャモンを突けてきているようですね。


幸福の科学は、何百億円という投資をし、しかも大学の建物は、もう建っているというのに。


(建設中の幸福の科学大学 昨年8月段階)


今の産業界や教育界、そして日本という国家自体が、閉塞感の中にいるはずです。

未来の見えない現状、力があるのに、発揮できない状況下にあるのです。


それを打ち破るのは、お役人ではありませんでした。

それはいつも、熱い情熱を持ち、高い志を持った、企業家や技術者や教育者などの、日本国民の側なのです。


それが日本の、歴史的事実です。

その法則は、今後も変わることはないでしょう。

なぜなら、それが日本人の、本当の姿だからです。


それを、役人の机上の論でかき回すと、ろくなことがおきないのが、これまた歴史的事実なのです。


役人はひっこんどれ!


この熱いホンダスピリットこそ、日本国民の強さの象徴であり、自由と繁栄の精神の象徴なのです。


それでは、またのお越しをー!!  (^O^)/


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