全国のアミ~ゴの皆様、ようこそ大川隆法ネット後援会へ。(^O^)/
智慧の法には希望があります。
智慧の法は、考える人を創る教えだからです。

それは前提に、「自由」があるから希望なのです。
宗教を信じる人たちを、まるで、「神の奴隷」か何かのように言う人たちもいます。
人を奴隷としようとしているのは、神なのか悪魔なのか。
もうそろそろ、その違いを見分ける眼を持つべきです。
何を考えるか・・・は、個人の個性の差が、相当あると思います。
しかし大切なことは、「神が、人に何かを、押し付けようとはなさっていない。」というエッセンスだと思うのです。
そう、「宗教とは、洗脳とは真逆のものだ。」ということが、幸福の科学大川隆法総裁のお考えなのです。
宗教とは、神の属性である創造を、神を信じる人たちが、自らの個性のもとに、それぞれが創造していくためにあるのです。
だからこそ、宗教から文明が生まれるのです。
神が根源的に持つ、善や美の価値。
これらを汲み取り、それを実現しようと、信じた者それぞれが、それぞれの美意識の欲するがままに、この世界に実現しようとするからこそ、結果的に文明となってしまうのです。
そう、宗教=マインドコントロールというのは、完全な間違いです。
先般行われた、智慧の法講義で大川隆法総裁は、「それこそ、マインドコントロールなのだ。」と宣言したようなものです。
その宗教が本物ならば、マインドコントロールはできないのです。
なぜならば、神の心を知ると、心は自由自在になるからです。
神の智慧を知って、なぜコントロールされなければならないんですか?
神の知恵を知って、なぜ、他のことを考えることができなくなるのですか?
マインドコントロールは、「地獄に行くぞ。」とか、「悪いことが起こるぞ。」という、恐怖を利用したものです。
神の慈悲を知って、なぜ地獄に落ちることを恐れなければならないんですか?
マインドコントロール
それは、宗教を装った詐欺なのです。
宗教を、「マインドコントロールだ。」という風潮。
神からすれば、そういう風潮こそ、迷惑千万な話です。
それはひいては、人類全般にも、迷惑をかける風潮でもあるでしょう。

智慧の法は、考える人を創る教え。
それは神の創造を、実現する人を創る教えでもあります。
つまり、
神の美を、この世界に実現する人を創る教えです。
神の善を、この世に実現する人の教えです。
神の価値を、この世に定着させる教えでもあります。
それを、神を信じる人それぞれがつかみだし、自らと自らの周囲に展開していく教えです。
その中には、考えの違う人との出会いもあるでしょう。
しかし、それはそれで良いのです。
自分では、つかみ出せない神の美、神の善、神の価値を、知る機会となるのですから。
小さな対立など、恐れないことです。
調和のための調和など、神が望んではいないことを知ることです。
神はひとつの大きな価値を有していらっしゃるでしょうが、人間ごとき小さな者が、その全貌をつかむことなどできるわけがありません。
だからこそ、多くの人たちがいるのです。
その多くの人たちが、それぞれの尊い眼差しのもと神を見、神の心を忖度し、神の美と善と価値を探るのです。
そしてそれを、各自が訴えていくべきなのです。
それはある意味で、孤独との戦いになるかも知れません。
「自分がつかんだ価値を、誰一人理解できないかも知れない。」という現実があるからです。
しかしその、孤独を恐れない心こそ、勇気です。
さあ現実的に、神を本当に理解している人が、いったいどれだけいるでしょうか?
おそらく誰一人、神を理解しきった人はいないはずです。
そう、誰からも理解されていない・・・という、究極の孤独にいらっしゃるのは、実は神なのです。
神は偉大なり。
神は、偉大すぎるがゆえに、誰からも理解はされていないはずなのです。
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孤独のときに、神はそぐそばにいらっしゃいます。
孤独もまた、神の心を知る機会なのです。
ですから、孤独を恐れない勇気もまた、神の心を知る決断のときなのです。
自由の代償。
それは、孤独なのです。
ですからその孤独を、あまり恐れてはなりません。
孤独のときこそ、智慧は錬られる。
大川隆法総裁は、質疑への応答でおっしゃいました。
智慧の法は、考える人を創る教え。
このひとつの言葉から、新たな時代は始まりました。
それは、信仰の民主主義の時代です。
2015年。
アミ~ゴの皆様、それぞれがそれぞれの持ち場において、立つべきときがやってまいりました。
智慧の法は、考える人を創る教え。
この言葉から、新しい信仰の鍵は開かれたのです。
がんばってまいりましょう。
それでは、またのおこしを。(^O^)/
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