年は明けた
それは同時に 一つの時代が 時間切れとなったことを 意味する
幕府は自ら 賞味期限切れということを 歴史に示したのだ
それが 2015年 1月1日の意味だ
刻々と 流れるときの中で
咲く時期を 間違えた花は かわいそうなだけだ
季節を間違えて 出てきた虫は 気の毒なだけだ
まだ幕府は 薩摩が見限ったことを 知らないようだ
知らない ということが すでに運命なのだ
ああ これが 神仕組み というものか
歴史は 繰り返すだろう
いや 歴史は 繰り返すものなのだ
歴史の変転の中に 神はいるからだ
歴史を創るのは 神だからだ
そもそも 時間の発明者は 神なのだ
川の魚は 川の流れに 身を委ねるしかない
気流に乗ることなくして 鳥は空を 飛ぶことはできない
人は ときの流れを読み
それに身と心を 委ねられるからこそ 人なのだ
人にとって ときの流れこそ 川の流れであり 気流である
ときの中に神はあり ときの流れも また神の心なのだ
神の子人間は 神の創りし 法則を理解し
その中で 最善を尽くせるからこそ 神の子なのだ
だから いつまでも 同じ時代が続くとは 思わない方が幸福だ
この国の幕府だけが いつまでも同じときを 謳歌できると思えるのか
そう思うこと それを 「愚か」 というのだ
幕府は 薩摩の尻尾を踏んだことに 気付いていないのだ
気づかぬことが 愚かなのだ
ああ 愚かなることよ
だが考えてみれば 愚かなる者に ときを読めというのも 酷なことだ
長州と薩摩が 反目している間は 幕府は存続できた
しかし 長州と薩摩が 目的をひとつにするとき
それが どういう意味を持つかは
日本人なら 知らなければならない
それを当然の ときの流れとして
それが 教養の力だ
それが 智慧の眼 というものだ
歴史を読む者 ときの流れを読む者は 神の願いをも読むのだ
かつて長州と 薩摩の思惑は 一体ではなかった
しかし 共に志は高く 堅牢なものだった
幕府の間違いは 薩長両者が共に持つ
強く高い志を 理解できなかったことだ
歴史は 繰り返す
火蓋が いつ切られるかは 言うまい
だが 導火線に 火は付いた
2015年 1月1日をもって
2019年 遅くても2024年には ことは済んでいるだろう
これが ひきこもりから見える 最も遅い 革命成就の年だ
現代(いま)を生きる 日本の国民(くにたみ)は
神武東征と 源平合戦と 戦国からの統一と 幕末明治維新
全てを併せたほどの 歴史スペクタルを これから見るだろう
歴史の大変動の 傍観者となるか
それとも 歯車を回す 一員になるかは
ひとえに あなた個人の 判断に懸かっている
あけまして おめでとう
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