全国のアミ~ゴの皆様、ようこそ大川隆法ネット後援会へ。(^O^)/
本日は、幸福実現党の躍進の鍵を握るキーマンの話です。
キーマンとは、幸福実現党政調会長、江夏正敏氏です。
江夏正敏 幸福実現党政調会長 (演説の江夏)
この御仁は、先に書いた釈量子党首や、饗庭直道調査会長のようなネームバリューは今のところありません。
しかしアモ~レは予言いたします。
この御仁が、歴史の流れを変えます。
アモ~レはこの御仁に、一度だけお会いしたことがあります。
2012年の参院選の前に、地元候補者の応援弁士として、地元各所を演説をして回ってくださいました。
海沿いの道の駅の前で、選挙カーの壇上に立った江夏氏(当時、幸福実現党幹事長)。
山を背にした、狭い平野の空気は一変しました。
幸福実現党の知名度は低く、まだ聴衆は、「なんぼのもんや。」的な態度でございました。
しかし江夏氏がマイクを握り、語り始めると・・・人が集まり始めたのです。
聴衆は、聞き入っていました。
そのときのアモ~レは、選挙カーの下での旗持ち役でございましたが、聴衆に手を振りながら、その様子を観察しておりました。
氏の語る内容は・・・残念ながら覚えていません。(爆笑)
しかし、内容の問題ではないのです。
バイブレーションなのです。
響きなのです。
政治に求められるもの。
国民は何を求めなければならないのか。
そういう内容だったとは思うのですが、それが、この御仁の訴えは・・・響くのです。
「この御仁の演説を、テレビで全国放送したら、それだけでこの国は変わってしまうだろう。」
そのときアモ~レは、そう直感いたしました。
演説スケジュールが終わり、地元支部精舎で、江夏氏の公演が行われました。
そのときに、アモ~レはこの御仁の演説の力の根源を見ました。
それは氏が持つ、悟りの力なのです。
自由・・・という概念を、これほどまでに端的に、心で悟っているからこそ、この御仁の言葉には力があるのです。
江夏氏は言いました。
「板垣死すとも、自由は死せず。」
「これは幕末、明治維新の土佐藩士、板垣退助の言葉です。」
「土佐藩士であった板垣が、なぜ明治期になり、自由民権運動に人生を捧げたか。」
「それは、幕府消滅後の会津における戊辰戦争に、官軍として参加したことがきっかけだったんです。」
「会津の城は屈強でした。」
「しかし官軍が、会津城にいたるまでは、簡単に行けちゃったんですね。」
「それは会津の民には、城が墜ちようが、どうでも良かったからなんです。」
「この時代の常識では、実際に戦うのは武士だけ・・・だったんですね。」
「板垣は、これではいけない・・・と思ったんです。」
「明治維新は要するに、日本の国防が中心概念で起こった革命です。」
「板垣は、日本国民全員が、日本を守るという概念を持たない限り、日本を守ることができないと悟ったんです。」
「でなければ列強が、会津に簡単に入れた官軍のように、日本に土足で這い上がってくるからです。」
「だから板垣は、自由でなければならない!と訴えて歩いたんですよ。」
「板垣の自由は、国を守るための自由なんです。」
「自由と国防は、一体なのです。」
土佐藩幹部であった板垣退助と、自由民権運動家板垣退助とが、アモ~レの心に中で、初めてリンクした瞬間でした。
残念ながらこの御仁の演説を、テレビで全国放送する方法論はないでしょう。
しかし、小選挙区ならば話は変わってきます。
小さなエリアの選挙区において、江夏正敏の演説を一定の期間、多くの機会で聴衆に聞かせることができれば、それは幸福実現党が勝利するときです。
誰も、氏の演説に勝てる人物はいません。
大川隆法総裁をのぞけば。
今幸福実現党は政党助成の法律の関係上、同一候補者が小選挙区と比例区とで、同時に立候補できません。
党幹部は、全国の面倒を見ざるを得ず、小さなエリアでの戦いができない、小政治勢力としてのハンデを背負っています。
江夏氏は、小選挙区向きです。
比例区では、エリアが広すぎて、聴衆が演説を聞く機会が少なすぎるのです。
江夏正敏氏が小選挙区で出馬するとき、または、小選挙区と比例区で同時に出馬できる環境が整ったとき、それが幸福実現党大躍進の、始まりのときとなります。
それは、新たな戦国時代の始まりを告げる、下克上の時代の始まりとも言えましょう。
http://enatsu-masatoshi.com/ (江夏正敏政調会長ブログ)
それでは、またのお越しをー。(^O^)/