よく聞かれる幸福実現党の批判に、幸福実現党は、大川隆法総裁の名誉心説や、政治的野心説があります。
しかしそれは、まったくのトンチンカンな発想です。
むしろ、そういうトンチンカンな批判をなさる方にこそ、名誉心や政治的野心を、できうるならばかなえてみたいという心があるからこそ、そうとしか見えないのだろうと思います。
つまり、幸福実現党へのアンチ的な批判は、批判なさる方の、心の反映でしかないと断言いたします。
なぜならば、野心や下心があれば、命はかけられないからです。
野心や下心とは、この世を生きやすく生きたいと願う心からしか発生しないので、人間は野心や下心といった、低次元な動機では、決して命を懸けることは、絶対にできないのです。
大川隆法総裁は、この幸福実現党立党時に、確かにご自身の命をかけていらっしゃったのです。
なぜそう言い切るか?
それは、僕がその目撃者だからです。
あれは、幸福実現党立党から1ヶ月余りが経過した頃、確か6月下旬だったと記憶しております。
大川隆法総裁が、突如街宣を始められました。
宗教法人幸福の科学の総裁という立場ではありましたが、東京で三ヶ所街宣し、その翌日は、岡山の支部でご講演なさいました。
その次の日、聖地四国正心館(徳島鳴門市)にいらっしゃり、ご講演いただいたのです。
僕はその、聖地四国正心館で行われた決起大会に参加し、大川隆法総裁のお話が直に聞けたのです。
そのときの僕は、空梅雨で酷暑の中での、不慣れな連日の政治活動に、疲れきっていました。
しかし四国入りした大川総裁は、そんなものではなかったのです。
この日の大川隆法総裁は・・・・ ・・・・・・ ・・・・・・・・・・・
もう、ボロボロでございました。
いや、これは衣装であるとか、髪型とかだけではないんですよ。
そういう、見た目だけではありません。
僕は医療者ですから、目の前の方が、どれだけ疲れ、どれだけ病んでいるかは、見れば一瞬でわかります。
疲れきり、なぜ立って歩けているかが不思議なくらい。
お声もマイク越しに、かすかに聞き取れるくらい。
霊的にボロボロ・・・
こんな大川隆法総裁を、見たのは初めてでした。
幸福の王子さながら・・・とでも申しましょうか。
「このままでは、先生が死んでしまう。」
参加者一同、そう思いましたね。
僕も、
「もう休めない。」
「総裁先生だけ、戦わせる訳にはいかない。」
「俺も、大川総裁と、一緒にこの戦いで死ぬんだ!!」
と柄にもなく、不惜身命の誓いを立ててしまいました。
その後の僕は、70kg以上あった体重が、選挙戦の終わった9月には、58kg以下にまで落ちました。
大川総裁が疲労困憊していたのは、急な街宣スケジュールだけではありません。
それまでに幸福実現党の基本政策集、幸福実現党宣言の刊行、そしてそれに伴う、連日の講演や講義。
その他、立党以来の激務が祟っていたのです。
これらの下ごしらえ的なお仕事が一段落したので、総裁は街宣に立たれたのだと思います。
そしてその、総裁の激務は、後に大きな結果となって現れます。
http://ameblo.jp/oramorre/entry-11958265416.html
皆様、いったい、命がけで成したいことはなんですか?
それは決して、低次元の願いではないはずです。
生きていくためだけ、生きやすくしたいがための願いに、人は命は賭けられません。
その願いのために生きている・・・くらいの心構えがなければ、命など賭けられないのです。
このとき総裁は、確かに命がけだったのです。
僕はこの眼で見ました。
このときの大川隆法総裁の、命がけの願いとは、やはり何度も言うように、
この時点で自民党が、改憲を争点に解散した場合と同じ効果を、日本にもたらすためだったのです。
さすれば、中国や北朝鮮などは、日本に手出しができないからです。
当時の、幸福実現党や幸福の科学の社会的力量ならば、それを実現するためには、大川総裁ご自身が、命がけの激務をこなさないといけなかったのです。
皆様、そんな判断ができますか?
そんな、覚悟ができますか?
これは、極めて高次な愛や慈悲から来る、決断ではないですか?
それこそ仏陀であり、救世主としての決断なのです。
大川隆法総裁を非難することができるのは、人生の中で一度でも、命を懸けたことがある人だけだと思います。
それが、命がけでことを成そうとしている人への、最低限の礼儀ではないでしょうか。
それでは、またのお越しをー。


