全国のアミ~ゴの皆様、ようこそ大川隆法ネット後援会へ。(^O^)/


ええと・・・、ブログ名を若干変更しました。(^^)

(幸福実現友の会)というサブタイトルを付けました。


幸福実現党は、今回の衆院選に、全国比例区で出馬しておりますので、よろしくお願いいたします。m(_)m


ところで、今拙ブログは、卑弥呼の邪馬台国に夢中です。(笑)
筆が遅い・・・ことはないか。(笑)

例によって、突拍子もないことを言いまくっておりますので(爆笑)、背景から説明しないといけませんのでね。

あはは、ナカナカ次に進めませんね。(^^;

さて古代日本の邪馬台国の卑弥呼外交は、一般的な説としては、

「大国魏(ぎ)の後ろ盾を得て、邪馬台国国内をまとめるために使ったのではないか・・・。」

と言われることが多いのです。

しかしアモ~レは、対朝鮮半島国家群向けの外交だと思います。

これは、遠交近攻と言って、外交戦略の鉄則中の鉄則。

よい見本と呼べるべきものです。

遠国魏との同盟は、日本国内向けの演出としてはほとんど効果はないです。

しかし、朝鮮半島国家群に対しての効果は絶大です。

一般説はあまりにも、

「当時の日本は、占いで政治をしていたくらいだから、レベルが低いに決まっている。」

という先入観を元に、日本の歴史を見過ぎていると思います。

魏志倭人伝を読むと、邪馬台国の北の国境は、狗邪韓国(くやかんこく)とあります。
ということはつまり・・・

邪馬台国は、その時既に、朝鮮半島に領土を持つ大国だった・・・可能性があります。

可能性・・と言うのは、相当弱気な発言ですね。(笑)
字面をそのまま読むと、そういうことになります。(爆笑)

つまり少なくとも、朝鮮半島情勢に合わせて外交をする・・・という、

高度な外交価値判断が必要な状況に、当時の邪馬台国は十分に達していたということです。

魏志倭人伝を、素直な心で読む限りは・・・ね。v(^^)

ただ、当時の日本には、”国家”という概念が十分でなかったかも知れません。

また、機能としての国家が、存在しなかったかも知れません。

大陸では、既に”国家”が形成されていました。

ですから日本でも、きちんと国家を形成しない限り、時の流れにおいては危うかったのだと考えます。

パパママストアーが、長い眼で見れば、大手スーパーやショッピングモールにかなわない・・・みたいな感じと、表現すればいいでしょうかね。

ただ、文化圏とすれば、十分なものはあったはずです。

また恐らく、海洋文明である縄文時代に、既に日本人は、

朝鮮半島諸国と交易などの人的交流を、既に相当行っていたからだろうと思われます。

そして、領土かもしれないし、はたまた文化圏なのかも知れませんが、

任那(みなま)という日本人居留地も朝鮮半島内あり、朝鮮半島国家群とは、実際には相当密接な関係にあったはずです。

その証拠に、縄文土器や古墳など、日本古来の製品や文化を思わせるものは、古代朝鮮の地層から、結構たくさん出土します。

しかし教科書的には、飛鳥時代にあったと言われる朝鮮半島南部の任那は、今や日本人の妄想説によるもの・・・とまで言われ始めています。


しかし縄文時代遺跡を素直な心で見る限り、当時の日本は、沈まぬ舟による高度な海洋文明でした。

ですから、朝鮮半島南部くらいは当時の日本人にとっては、”向こう岸感覚”だったと思います。

現実的に朝鮮半島南部からは、古墳が発掘されます。
古墳は、”墓”です。

つまり、古墳・・・という、死後の遺体を埋葬する機能を持ったもの・・・が発掘されるということは、

それがたとえその発祥が、いずれの地域であったとしても、その古墳が発見される地域の当時の人々というのは、少なくとも、死生観を共有していた・・・という、明らかな証拠です。

どちらが主要国で・・・とか、古墳の発祥が、どこの国で・・・というのは、古墳が見つかることではわかりません。
しかし、共通の死生観を共有する地域であった・・・ということは確実なのです。

つまり古墳から導き出される歴史的真実として、
古代日本と朝鮮半島南部は既に、死生観を共有する間柄であったことには間違いがない のです。

これらを総合するに、卑弥呼外交は、朝鮮半島内における邪馬台国の、影響力強化や地位確立に、多大なる影響力を、それも相当長きに渡って持ち続けたはずなのです。


漢の倭の奴の国王・・・という称号は、魏が存続する限り有効だからです。

見事です。

倭国(日本)の一人勝ち外交なんですね。

その影響力が、保てなくなったので、その後の時代に、聖徳太子の遣隋使が始まったのかも知れませんよ。

中国では、王朝がコロコロ変わりますからね。(笑)

魏などの漢民族は、本来、海の外には全く興味を持たない民族です。
ですから、当時の超大国魏が、九州邪馬台国に攻めて来る危険性はありません。

しかし漢民族は、陸続きならば進入して来ます。
ですから、朝鮮半島諸国はビビリます。

朝鮮半島国家群が日本列島に、いや半島南部の任那にも攻め入ることができなくなるのです。

さて、漢の倭の奴の国王・・・という称号の影響は、それだけにとどまりません。
ここからが本題です。(笑)


魏や、朝鮮半島諸国から見た”倭=邪馬台国”は、九州にある・・・。
対外的には、そう見えます。


中国(魏)や朝鮮国家群からは、そうとしか見えないんですね。

そこがミソなんです。(笑)


しかも邪馬台国(ヤマトの国の中国読み)と、朝鮮半島に経済的利権を持っていたと思われる出雲の国は、出雲の国譲りで、同盟関係にありました。

http://ameblo.jp/oramorre/entry-11955189953.html

アモ~レ流、出雲の国譲りの本質と、スサノオ伝説。


今まで密かに進められてきた、神武東征=日ノ本の弥生化は、この前後に、一気に進められたはずです。

否、本当は、この仕上げをするためにこそ、卑弥呼外交はあった・・・のではないかと、アモ~レは考えてます。

なぜならば、卑弥呼外交が成功すれば、


ヤマトの国の正規軍を、九州地方に温存しての、奈良への遷都



という、歴史の離れ業が可能だからです。


つまり、卑弥呼の邪馬台国が、九州にあると中国や朝鮮半島国家群に思わせることが重要なのです。

それが、卑弥呼の邪馬台国の正体だと思います。

つまり、奈良に移るヤマトの国の囮(おとり)です。


それができれば、平和裏に、ほとんど軍事的行動を起こさずに、奈良盆地へ遷都することができるのです。


卑弥呼の邪馬台国囮説だと、一連の日本の古代のミステリーは、完全にその謎が解けるのです。


それでは、またのお越しをー。(^O^)/



アモ~レは、日本を元気にするために(年甲斐もなく)がんばっています。(笑)

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