全国のアミ~ゴの皆様、ようこそ大川隆法ネット後援会へ。(^O^)/


僕は車大好き人間です。

今ブログで取り組んでいるのは、僕の大好きな自動車から見える世界です。


一連の記事を読み返してみると・・・長いですね。(爆笑)

管理人自身が楽しんで書いているからか、思い入れが強いからなのか、とても長い記事になっていますし、長いがゆえに、誤字もとても多いです。(さらに爆笑)


とまぁ、僕は自動車好きで、おしゃれな外車なんかも好きですが、やっぱり日本車が好きです。

自動車雑誌なんかを読んでいると、どうも外車、特に花形のスポーツカーなんかは、外車の評価が高いように思えます。

また、日本車とライバル視される、ドイツ車も評価が高くて、日本車は陰が薄いように思え、とても残念です。


僕は日本車が、外車、特にドイツ車と比較しても、決して劣っているようには思えません。

僕が次の自動車を買うにしても、国産車を買うでしょう。

まぁ、お金がふんだんにあって、きらくなセカンドカーが欲しくなったら、古くて小さなヨーロッパ車を、おしゃれ着代わりに乗るかも知れませんが。


ドイツ車は、デカイです。

デザインももっさりしてりて、お金を払う気が、僕はしないんですよね。

ドイツ車で好きなのは、初代ゴルフと、BMWの初代3シリーズくらいですね。

http://cdn.mkimg.carview.co.jp/minkara/usercar/000/000/857/434/857434/p1.jpg?ct=004a9ae4923a

(初代ゴルフ)

http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-14-0e/aki19820214/folder/434150/63/9526363/img_1?1407574125

(BMW初代3シリーズ)


日本の自動車会社は、自信を失っているように、僕には思えます。

先日取り上げたフェアレディーZにしても、今では、おしゃれで十分速い実用スポーツカーですけれども、その本質というか、フェアレディーZの本当の付加価値、つまり、消費者に購買欲を駆り立てさせていたのは、


価格が3倍もする、本格的スポーツカーをぶち抜ける!(笑)

というところに、あったはずなのですね。http://ameblo.jp/oramorre/entry-11923935705.html


いくらお買い得であっても、何百万円というお金は大金です。

そうやすやすと出せる金額ではありません。


ですから自動車ビジネスは、消費者に大金をはたいてでも、「欲しい!」と思わせる演出が必要なわけでして、日本の自動車会社は、ドイツなどのヨーロッパの自動車会社らと比較して、そこらへんの、商品の付加価値の演出が下手なんだと僕には感じられます。


商品の値段なんて、あってなきがごとし・・・なのですから、商品の演出こそ、必要なわけですけれども、日本の自動車会社は、そこらへんのプレゼン力において、ドイツ車に今のところ負けていると思うし、そこだけが負けているところだと思います。


要するに、フェアレディーZに代表される日本車が、自信を失っているのだと、僕には思えるのですよ。


日本車が自信を失った背景には、280馬力自主規制が大きかったと思います。


日本の自動車業界は、いつだって、日本のお役人に足を引っ張られているんです。

トヨタプリウスの、世界基準車戦争敗北の時だってそうでしたよね。

http://ameblo.jp/oramorre/entry-11923465142.html


いつだって、日本のお役人は、口を出してはいけないときに変な口出しをし、必要なときには現れず、この業界の足を引っ張ってばかりなんです。


1990年代というのは、日本車の黄金時代です。

実は、石油ショックと排気ガス規制という、自動車の存続の危機ダブルパンチを、世界で一番最初に克服したのは、日本なんですね。

細かいことはまた後日記載させていただきますが、この危機ダブルパンチを克服した日本は、トヨタソアラ以降、急速に製品の性能と品質を上げて行ったんです。

http://cdn.mkimg.carview.co.jp/minkara/photo/000/003/600/819/3600819/p1.jpg?ct=f401e33d5b10

(トヨタソアラ初代)


スーパーカーブームや排気ガス規制で、馬力に飢えていた日本。

そしてバブル景気などで潤沢な資金もあり、また部品が自由に開発できる、日本独特の環境。

http://ameblo.jp/oramorre/entry-11921748533.html


これらの条件と、それまでの努力が実ったのが、1990年代でした。


世界で一番速いのは日本車。

これが、日本車に対する、世界の評価だったのです。


フェアレディーZ記事でも言いましたが、日本車はエンジンがタフで、運転も一般的ドライバーが扱いやすい品物になっていました。

それまでの世界の自動車は、速く走るためには、速く走るだけの技術が必要だったのです。

扱いやすい日本車は、当時世界で一番速い自動車だったのです。


エンジン出力はグングン上がり、280馬力の出力が、商品として普通に出せるまでになりました。

これにイチャモンをつけてきたのが、運輸省(現国土交通省)です。


1980年代後半、自動車事故による死亡者数の増加が問題視されていました。

1989年に日産が、スカイラインGTRを300馬力の出力で販売しようとしていたときに、運輸省から行政指導があったのです。


そしてやむなく、それまでの最高出力である、280馬力でスカイラインGTR(R32)は販売されました。

http://www.carsensor.net/CSphoto/cat/NI/S054/NI_S054_F001_M001_1_L.jpg

(日産スカイラインGTR 通称R32)


それ以降、日本自動車工業会の馬力自主規制・・・という名の、事実上の運輸省による、馬力規制が行われました。


2000ccターボでも、280馬力。

3000ccターボでも、280馬力。

5000ccV12気筒エンジン車でも、280馬力。


いつまでたっても、どこから販売される高性能車も、馬力は280馬力で横並び。

こういう、通常の物理学や、技術の蓄積や、学習効果では考えられない時代が、15年間も続いたのです。

軽自動車では、いまだに、64馬力の最高出力自主規制が存在し、64馬力以上の商品は、国交省の認可に、出すことすらできないんです。


異常です。

結果平等も、はなはだしいです。


これで、勢いついたのが、外国勢ですよ。

彼らは90年中盤に入って、やっと排ガス浄化へのメドがたったところでした。


日本車は、日産スカイラインGTRのように、実際は330馬力あるけど280馬力で販売していた(笑)・・・とか、外国向けには300馬力、日本国内向けには280馬力で対応などをしていました。


日本国内と海外向けが違えば、部品を変えなければなりません。

それは、メーカーのコスト増ですよね。

また、実際には330馬力であっても、280馬力で申請であったら、そういうコストはかかりませんけれども、そういうことをやっていたら、決して500馬力のエンジン開発はできないんですよ。

エンジンの開発投資には、莫大な費用がかかるからです。


売れて、減価償却できる見込みがなければ、新エンジンの開発などできません。


その間に、欧米、特にヨーロッパでは、馬力の強いエンジン開発に成功しているんです。

いつの間にか、スポーツカーは500馬力以上でなければ、商品価値がない時代になっていたんです。


当時の日本の運輸省が、輸入車には、280馬力自主規制を要請しなかったからです。

海外からは、カタログデーター上300馬力以上の自動車が、輸入され続けていました。


エンジンの出力競争とか、スピード性能の競争いうのは、とても重要なのですよ。

なぜならば、馬力(出力)や出せるスピードというのは、結局は熱効率の問題ですし、伝達効率の問題だからです。


ヨーロッパの自動車社会は、日本が280馬力自主規制という、運輸省の,要らぬお世話の行政指導によって、ぬくぬくと高性能車の開発ができました。

15年間もです。


それが、今の海外の自動車の商品価値の、高さの所以なんですよ!


500馬力が出せるということは、それ以下の馬力ならば、いとも簡単に出せるということですよね。

ということは、その馬力で使う力を、燃費に振り返ることも可能なのですよ。

所詮は、熱効率の問題だからです。


交通死亡事故が問題ならば、ホンダのように、エアバックを開発するなり、スバルのように、自動停車システムを開発するなりが本道です。


日本のお役人がやったことは、邪道の極みです。

ただの、数字合わせでしかないじゃないですか!


やるならば、輸入車もやらせなければ、フェアーではありませんよ!

アメリカならばやりますよ。

「さあ、日本の役人よ。やれるものなら、やってみろ!」ですよ。


プリウス然り、スポーツカー然り、そして軽自動車然りなんです。

いっつも、日本のお役人は、この業界の足を、引っ張り続けているんです。


いっつもですよ。

そのつまらぬ幼い判断で、日本人が本来得るべき富が、一体いくら失われましたか!

運輸行政の役人は、日本が技術で富を得るのを、一体いつまで邪魔するおつもりですか!


この日本の、高慢で傲慢なお役人に、一人立ち向かった偉大な自動車人こそ、世界のホンダの創立者、本田総一郎氏でした。

本田総一郎氏や、ホンダが成した偉大な功績は、またいつか書きたいものです。


それでは、またのお越しをー。(^O^)/